21世紀に伝えたい『港湾遺産』
[No.6] 神奈川・横須賀ドライドック
造船を核とした日仏国際協調の舞台
嘉平6年(1853)のペリーの来航から約12年後、神奈川県三浦半島の一角に、横須賀造船所(当初横須賀製鉄所)の建設が始まる。それは、船の建造設備や修理用のわが国初の石造ドライドック、船台工作機械工場などをもち、最先端の技術を駆使した工業技術の一大拠点であった。しかも特筆すべきは、ここで日本の近代化を支えていく技術者を育成するための教育を実践したことだ。ここから多くの日本人技術者が巣立ち、日本の近代化に貢献していくことになる。建設・運営には「日本の工業技術の礎を築いた」と評される一人のフランス人技術者の献身的な貢献があった。造船を核とした日仏国際協調の舞台、それが横須賀造船所であり、ここから20世紀に世界一の造船大国へと成長をとげるわが国の造船の歴史が始まる。現在は在日米海軍横須賀基地内に位置し、現役のドックがいまも当時の名残をとどめている。
慶応元年(1865)、当時造船大国として君臨していたフランスから、一人の若手技術者が来日する。海軍の造船技師だったフランソワ・レオン・ヴェルニーである。当時27歳。このヴェルニーこそ、日本近代の黎明期に造船所の建設と運営を通じて、日本の工業技術の基礎を築いたといわれる大恩人である。
開国を余儀なくされた江戸幕府にとって、欧米の最新造船技術の習得は、国防上の大きな課題であった。そこで勘定奉行の小栗上野介忠順(おぐり こうずけのすけ ただまさ)は、ドライドックをもつ洋式造船所の設立を提案、駐日フランス公使レオン・ロッシュを通じてフランス政府に協力を依頼する。こうしてヴェルニー来日が実現したのだった。
ヴェルニーは、ただちに横須賀での造船所建設案を作成、まず埋立による244,200㎡の敷地造成から始めた。埋立事業を進めながら造船事業も同時並行にスタートさせるという手際のよさである。埋立造成が着工した翌年の慶応2年(1866)には早くも建造船舶第1号となる横須賀丸の建造にとりかかっている。
待望のドライドックは、まず慶応3年(1867)に第1号ドックが起工、維新をはさんで明治4年(1871)に完成する。続いて第3号ドック(当初の第2号ドック)が明治4年に起工して明治7年(1874)に竣工した。ヴェルニーの帰国後になるが、明治17年(1884)には、当時東洋最大規模となる長さ156mの第2号ドックが日本人技術者の手によって完成する。ここにヴェルニーによる日本人技術者の育成は、一つの到達点をみた。
ドライドックは、当時の日本にとって未知
の構造物であり、横須賀ドライドックは日本の土木技術史で近代最初の大型海洋構造物ということができる。
その施工で最も苦心するのは止水対策といわれるが、建設地は土丹岩で地質的には恵まれていたようだ。それでも海水の浸入を防ぐ締切工事は、崩壊や湧水がともなうきわめて危険な工事であり、無事終えたときには喝采があがったという。当時の技術者たちの情熱と難工事を克服した喜びが伝わってくる場面だ。昭和15年(1940)までに6基がつくられた。
ヴェルニーは、10年あまりを横須賀造船所の首長として手腕を発揮し、数々の技術を日本にもたらした。
港湾技術に絞ると、浚渫船の建造がある。明治元年(1868)の工事報告には、「船艇製造中ノ部」に「泥浚用鉄船長14間幅3間」と「泥浚船」の項があり、それぞれ「組立工事五分通リ」「三艘ハ五分通リ其他ハ未ダ着手セズ」と記録されている。港内で稼働する浚渫船の写真も残されており、現実に稼働したものと思われる。
オランダの浚渫船を導入して大規模に行われた明治10年代の野蒜港に比べると、規模は小さいかもしれない。しかし国内で浚渫船が製造され、さらにいち早く浚渫工事が行われた意義は大きい。ドックに目を奪われがちだが、横須賀は浚渫工事の技術史でも重要だ。
特筆すべきは教育分野での貢献であり、その後の日本の発展を見ると最大の遺産ということができる。彼は、「横須賀から日本の近代的な造船と機械工業が始まる」という理想に燃え、そのためには技術者の養成が必要だと考えて教育に情熱を注いだ。決して出稼ぎ意識の技術者ではなかったのである。
造船所内には、彼自身が「この工場内で一番優秀な施設」と呼ぶ技術者養成学校「黌舎」(こうしゃ)が設置された。彼とともに来日した技術者が教師を務め、造船、機械などの工学教育を実践する。日本人が世界のトップレベルの技術に触れることができる唯一ともいえる場所であり、多くの優秀な日本人技術者を輩出していった。その後東京帝国大学に移され、工学部造船学科として日本の造船工学の大きな潮流となっていくのである。
ヴェルニーが近代化の種をまいた横須賀造船所の建設から約100年後、日本はイギリスを抜いて世界一の造船国となる。横須賀造船所は、崩壊寸前の幕府がヴェルニーという恩人の力を借りながら、将来の日本のために渾身の力をふりしぼって残した近代化遺産である。
「修船舩架図面」
(横須賀市自然・人文博物館所蔵)