21世紀に伝えたい『港湾遺産』

[No.8] 三重・四日市港旧港防波堤(潮吹防波堤) 資料編

稲葉三右衛門(1837〜1914)

 美濃国高須(現在の岐阜県海津町)の豪商吉田家の六男として生まれ、四日市で廻船業を営む稲葉家を継いだ。四日市港の改修を始めるのは30代半ばという若さである。困難を極めた事業の行く手をはばんだのは、技術面ではなく資金調達の行き詰まり、請負先の倒産といった不運だった。計画は中断し、明治8年(1875)には個人の努力では限界とされ、ついに事業は県に移管される。造成された土地の所有権も認められず、稲葉は活路を裁判に求めたが敗訴し、なすすべを失ったかに見えた。ただ、県の事業も伊勢農民暴動の影響で中断され、しばらく放置される状況が続く。明治16年(1883)、融資を受けた稲葉に再び工事の許可が与えられた。紆余曲折をへて明治17(1884)年に竣工を迎える。

 改修事業は経済的な問題をはじめ、技術的あるいは資材の選定にいたるまで、いかに私事業の域をこえた事業であったかが当時の記録からうかがえる。稲葉のこの事業にかけた見識と強烈な意志を目の当たりにすることができる。

(稲葉元考氏所蔵)

服部長七(1840〜1919)

 三河国(現在の愛知県碧南市)に生まれ、三重県桑名で左官の修業をして18歳で左官業を始める。その後、たたきの技術を応用した人造石を発明し、各地の工事を請負うことになった。港湾施設では広島県宇品港、名古屋港の工事がある。また豊橋の神野新田開発も手がけるなど多くの功績を残した。

 四日市との関わりでは、潮吹防波堤以外に高砂町の護岸工事もある。

(服部憲明氏所蔵)

三和土(たたき)

 石灰と真砂土に砂や石粉を混ぜた材料で石を貼り合わせる工法。これらの材料に水(場合によっては油)を加えて練り、板や木槌などでたたき締めて硬化させる。服部が発明した技術で、三州たたきともいわれる。自然石を「たたき」で接合した練石積は堅牢な護岸構造を形づくった。たたきによる人造石をブロック形にしたものもあるが、防波堤工事のたたきに使用したものに比べて、やや強度で劣るといわれる。しかしコンクリートに比べて硬化する時間がかかるが、長い年月をかけて徐々に締まるのが特徴だ。コンクリートよりも硬くなるとの説もある。

 たたき自体は伝統的工法として存在していた。もともと建築用語であるが、明治の過渡期には、広く土木構造物にも使われた。このたたきを海洋土木にも使えるように改良したのが服部であり、自然石と組み合わせて防波堤をつくっていった。「長七たたき」あるいは「三州たたき」、後には「人造石」と呼ばれるようになる。近代化の過程ではコンクリートが新しい材料として登場するが、それまでの有力な材料として港湾工事などに使われた。

明治後記の潮吹防波堤
(森昭源氏所蔵)

重要文化財

 平成8年(1996)10月、国の文化財保護審議会の答申を受けて、四日市旧港港湾施設は重要文化財(建造物)の指定を受けた。近年、土木遺産の重要文化財指定が増えてきたが、港湾遺産に限定すると、四日市旧港が第1号の指定になる(灯台などの単体を除く)。指定範囲は潮吹防波堤と石積 みの西防波堤、顕彰碑・記念碑、土地を含む港湾施設全体。明治期に建設された港湾施設の姿をよく残しており、「わが国の築港技術の近代化の過程を示すものとして貴重」と評価された。とくに潮吹き防波堤造は、「他に類例を見ない水抜き穴をもつ二列構造をとっており、技術的に見てきわめて価値が高い」ものとされている。

防波堤断面図