若き海洋人たち
海技士免許取得講座 受講生 松木 崇さん
海技士とは船長、航海士、機関長、機関士、通信士として、大型の船で従事するために必要となる免許。船の大きさや航行区域別に1級から6級までに分けられています。
海運企業では社員に資格取得を義務づけている会社も多く、若者から年配の方まで幅広い年齢層の方が海技士国家試験にチャレンジ。こうした方々の努力に、日本の海運は支えられているのです。
短期集中講座を終えた翌日から、2日間の試験に臨む
「講習が始まってまだ4日目ですが、内容が濃いし進行が速くて……」と、松木崇さんは苦笑いを浮かべます。彼は(財)尾道海技学院(広島県)で、5級海技士免許を取得するために17日間の短期集中講座を受講。愛媛県の伊予市で、両親と弟とともに自営の海運業に携わり、海技士の受験資格である3年以上の乗船履歴を積み、試験に備えて同学院の門を叩きました。
「家から通える距離ではないので、受講期間中は学院の寮に入っています。朝9時過ぎから夕方4時半まで講義を受けて、寮に帰ってからも部屋で勉強する毎日です」(談)
海技士には「航海」と「機関」の2科目があり、彼が受験するのは機関。船の機関術について総合的な知識を習得、さらに執務や模擬試験を経て、直後の試験に備えます。
「理数系の得意な人にとってはそう難しくないのかもしれませんが、自分は文系なので燃料消費などの計算に苦労します。機関の知識は、仕事で先に実物を見ているので、すんなり頭に入るのですが」
彼の実家は199tの貨物船を所有。小さい頃、祖父と父が仕事で船を出す際に一緒に乗せられ、各地へ連れて行ってもらいました。行き先がどこだったか理解できないほど、幼い頃の思い出です。
「子どもの頃の夢は船に乗る仕事に就くこと。でも成長するにつれ、当たり前のように家業を継ぐような流れに抵抗を感じるようになり、別の仕事に就くために大学へ進学しました」
大学へ通いながらも、時間が空いたときには父に請われて家業を手伝っていたという松木さん。そうするうちに船の仕事に魅力を感じ、学校を中退して家業に本腰を入れることになりました。
しかし、仕事を始めて1年ほど経った頃、次第に自信をつけ始めていた彼は、父からの細かい指図に反発し、ついに喧嘩に。袂を分かって一度は運送会社へ転職。ところが1ヵ月後には、再び家業へと戻ったのです。
「広々とした海に出る心地よさをあらためて認識し、『船の仕事しかできないな』と強く実感させられました。試用期間の終わる頃、運送会社に退職を申し出ました。父に『またやらせてほしい』とは、さすがに言い出しづらかったですが」
父親は彼の復職を静かに受け入れました。「あまり感情を表に出さない」とは、彼の父親評ですが、内心、大いに喜んでいたことでしょう。
彼は航海士の免許をすでに取得しており、機関にも携わるべく受験を決意。合格のあかつきには、家業の大きな助けとなることでしょう。
「貨物船の航行には、必ず機関の資格取得者の乗船が義務付けられているのですが、うちのなかで資格を持っているのは父ひとりだけ。なので、自分が合格すれば父は休みが取れるようになるのです」
家業では操船や荷の揚げ降ろしの手配、船の手入れなど、デスクワークはほぼ皆無という彼。座学に明け暮れる毎日にはなかなか慣れないそうです。しかし、合格の報せを楽しみに待つ家族のためにも、試験に向けて懸命に取り組んでいます。
一定の乗船履歴を持つ者が受験対象となるため、講座は座学のみ
全国から受講生が集まる尾道海技学院
静かなイメージの瀬戸内海だが「流れが速くて船が進まないところもある」(松木さん)
(財)尾道海技学院
1949(昭和24)年に創設された海事教育機関。半世紀を超える歴史のなか、20万人以上の海事従事者を輩出し、国土交通省認可の公益法人として活動している。
長期・短期、等級専科などの海技士受験講習のほか、特殊無線技士、危険物等取扱責任者、電子通信など、広範な分野にわたる講習を実施。さらには小型ボート免許や特殊小型船舶操縦士、潜水士の資格取得にも対応している。
永年の実績・オリジナルテキスト・個々のレベルに合わせた細やかな指導が高い合格率となり、北海道から沖縄まで全国各地から、受講生が来院する。
●(財)尾道海技学院ホームページ
http://www.marine-techno.or.jp/