名作が生まれた港

名作が生まれた港

尾道糸崎港


映画作家 大林宣彦 Obayashi Nobuhiko

1938年広島県尾道市生まれ。少年時代から個人映画を撮りつづけ、60年代からはテレビCMを多数製作。「HOUSE/ハウス」で劇場用商業映画に進出。「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」の尾道三部作、「ふたり」「あした」「あの、夏の日—とんでろ じいちゃん」の新尾道三部作の“古里守りの映画”を発表。他に「異人たちとの夏」「青春デンデケデケデケ」「なごり雪」「理由」など、話題作多数。2004年春の紫綬褒章受賞。


再訪を誘う“息切れ”の街

 山陽地方のほぼ中央に位置する尾道市は、尾道糸崎港を中心に栄えてきた港町である。東に岡山、西に広島と主要都市を擁し、南西には川のように細い尾道水道と呼ばれる海を隔てて向島を臨み、その先に瀬戸内の島々が連なる。こうした地勢により、古くから海上交通の要衝として歴史を重ねてきた。
 尾道を訪れたことのある方なら、坂と石段のイメージが浮かぶことだろう。海沿いのエリアを除く街の大部分が、山の尾根から海へ下る斜面にしがみつくように広がっており、息切れすることなく散策するのは難しいといっても過言ではない。
 しかし、ともすれば“不親切”といえそうなこの街に魅力を感じ、繰り返し訪れる旅行者は少なくない。坂や石段の上り下りが不便なことは確かだが “お節介な”街づくりが主流の現在にあって、尾道は他では見られない個性を備えているといえる。地形や気象などはその土地に住む人の気質や生活文化に影響を与え、そこから育まれた街の個性が外部の人にとって魅力的に映る。だからこそ全国の観光地がそれぞれの特色を打ち出して誘客を図っているわけだが、果たして成功事例がどれだけあるかは疑問だ。というのも、リピーターを獲得している街はごく限られているからだ。大規模な集客施設や派手な催しは、大抵が一度体験すれば事足りてしまう。一方、あるがままの姿に新しい発見や高揚感、あるいは郷愁や安堵感を見出せる街には、また訪れたいと思わせられる。往来に苦労する斜面に昔ながらの家並みがつづく尾道は、そうした求心力を持つ街のひとつといえるだろう。


“町まもり”の映画とは

 映画作家・大林宣彦が、その評価を決定的なものにしたのは、自らの故郷である尾道を舞台に撮った「転校生」(1982年公開)「時をかける少女」(1983年公開)「さびしんぼう」(1985年公開)のいわゆる「尾道三部作」である。いずれの作品も、登場人物の背景に映っているのは景観ではなく、小さな寺社や小径、学校、商店街といった日常的な暮しの風景だ。
 彼はこれらの作品を、当時各地で進められていた「町おこし」に対抗して「『町まもり』の映画」と称している。自分が生まれ育った個性的な港町が、開発の名の下どこにでもあるような街並みになってしまうことに、作品で異議を唱えたのだ。
 尾道三部作の第一作「転校生」の試写を地元で行ったときには、町の恥部ばかりを撮ったと大騒動になった。ところが「これでは尾道はさらに見捨てられるぞ」という大人たちの心配をよそに、映画を観て「あの石段を登ってみたい」「あの石垣に触ってみたい」「実際に訪れなければわからないことがたくさんあるはず」、そんな動機から各駅停車の乗り継ぎやオートバイ、自転車などで若者たちがやって来たのである。
 やがて「ロケ地巡り」は大人たちをも巻き込み、市民は大林作品の撮影に協力的になる。電話やトランシーバー1本でジャストな場所とタイミングでフェリーが役者の後ろをゆっくりと横切る。尾道がそのまま撮影所になったかのようだったという。開発ブームに後れを取ったと思われた古い街並みが一人の表現者に作品を作らせ、ファンを生み、市民に街の価値を再発見させたのである。大林監督は彼自身のロケセットも残さず、記念碑も作らず、町の姿をあるがままに保っている。それが町や映画を真に愛する人の信頼にもつながっているのだ。
 尾道三部作上映から15年を経た1999年、瀬戸内しまなみ海道が全面開通したいまでも、かつて「街の恥部」といわれた「歩きにくい道」「はげた土塀」「割れた瓦」なども依然健在で、いまなお多くの観光客の旅の目的になっている。

「転校生」(C)(株)PSC


尾道三部作 名シーンのロケ地

「転校生」主人公の男女が転がり落ちた御袖(みそで)天満宮の石段

「時をかける少女」主人公と遭遇した艮(うしとら)神社

「さびしんぼう」主人公を探した福本渡船乗り場


[取材協力・写真提供](株)PSC、尾道市観光文化課
[参考資料]「ぼくの瀬戸内海案内」(大林宣彦著/岩波ジュニア新書)