名作が生まれた港

名作が生まれた港

北海道の南の玄関口・函館港


飢餓海峡 Kigakaikyou

原作:水上勉。洞爺丸遭難事件をモチーフに、強盗放火殺人事件の容疑者と刑事、犯人に無垢な愛情を注ぐ娼婦の姿を通し、貧困と愛憎の悲劇を描く、社会派推理小説。1962(昭和37)年に『週刊朝日』にて連載。翌年、朝日新聞社より単行本として発行される。さらに東映により、内田叶夢監督、三国連太郎・左幸子主演、助演・伴淳三郎で映画化され、日本映画記者会で監督賞、主演男優賞、主演女優賞、助演男優賞を受賞。小説・映画ともに、昭和を代表する名作として評価が高い。


郷愁のなかに影を残す青函連絡船最大の悲劇

 北海道の海の玄関口・函館港は、渡島(おしま)半島の南端に位置し、古くから天然の良港として「巴港」、「綱知らずの港」などと称されてきた。港の修築は江戸時代後半の1801(享和元)年から始まり、1859(安政6)年には、長崎や横浜と並び、日本の貿易港の先駆けとして海外にその窓が開かれている。近代海運の要衝としての港湾整備は明治初期から始まり、1873(明治6)年には開拓使によって、函館〜青森間の定期航路が就航。それ以来、北海道開発のための物流拠点として、さらに造船や北洋漁業の基地として大きな役割を果たしてきた。
 近代港湾としては、1879(明治12)年に港湾調査が始められ、17年後の1896(明治29)年、北海道の港湾工事としては初めての、国費助成による第1期函館区営改良工事がスタートした。以後、明治、大正、昭和、平成と、北海道の重要港湾としての役割は変わりなく、2002(平成14)年には、港町埠頭水深−14m岸壁が、翌年には水深−12m岸壁の供用が始まり、21世紀においても、その重要度は、ますます高まっている。
 ところで函館港といえば、我々のイメージにまず上がるのは、やはり青函連絡船だろう。明治から昭和の終わりまで、多くの貨客を乗せ、津軽海峡を往復した青函連絡船は、すでにその役割を終えた平成の今も、不思議な郷愁を誘う。
 だが、年輩の方は覚えておいでであろう。青函連絡船80年の歴史上、最大の悲劇「洞爺丸遭難事件」を。


一晩で消え去った5隻の船と1400人を越える尊い命

 1954(昭和29)年9月26日、日本列島には台風15号が北上していたが、18時39分、洞爺丸は青森を出航した。同日午前3時に鹿児島市付近にあった台風は、一旦日本海上に出て発達しながら時速100kmもの速度で北上したが、急に速度を落とし、17時過ぎの函館市に無風晴天をもたらしたのである。誰もが台風の目は通過したと考え、連絡船は出航されたが、これが誤算だった。
 出航後、船は瞬間最大風速50mを超える暴風と波頭にさらされ、やがて海水が船尾の車両搭載口から車両甲板、ボイラー室から機関室へ侵入し、両舷主機が停止。七重浜沖で触底し、同日22時43分ごろ、海岸まで数百mの位置で左舷錨鎖が切断。波を受けて横転し転覆する。これにより乗員乗客1155人が死亡あるいは行方不明となり、さらに僚船である第11青函丸、日高丸、北見丸、十勝丸の4隻も、この大暴風雨で沈没あるいは転覆。5隻を合わせると、わずか一晩で、1430人の尊い命が失われたのである。


遭難事件をモチーフに描かれた昭和を代表する名作

 洞爺丸遭難事件は、その規模の大きさと一夜にして5隻の船が沈没・転覆し、1400人以上の命が失われたという悲劇から、数多くの文芸・芸術作品のモチーフとなった。なかでも、珠玉の作品と呼ばれるのが、水上勉による小説『飢餓海峡』と、これを原作として小説発表の翌年に映画化された同名映画である。
 物語は洞爺丸遭難を背景に、社会の底辺から這い上がろうとする男と、無垢な娼婦、男を追い続ける刑事の3人の姿を主軸に、戦争の傷跡が色濃い当時の世相をドラマチックに描き出している。小説としては、いわゆる社会派推理小説の形をとってはいるが、人間の愛憎が生み出す根源的な悲劇を描いたストーリーは、単なる推理小説の枠を超え、壮大な文芸作品となっている。洞爺丸の遭難はトリックの要であり、また登場人物が辿る悲劇の背景にして象徴にもなる。

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洞爺丸遭難事件は、単なる悲劇で終ることはなく、駆動システムや船体構造の変更、運行体制の見直しなど安全管理に多くの教訓を残し、その後、1988(昭和63)年の終航まで、青函連絡船では、こうした事故は二度と起こることがなかった。一方で、『飢餓海峡』に描かれた、人間という存在の悲劇は、平成の今も繰り返されているのかもしれない。今も七重浜には、洞爺丸遭難事件の犠牲者を悼む慰霊碑があり、津軽海峡を行き交う船舶の安全を見守っている。

函館港には青函連絡船メモリアルシップ摩周丸が係留されている

七重浜に建てられた海難者の慰霊碑

沈没した洞爺丸[写真提供:海難審判庁]