PORT REPORT 新みなとまち紀行

PORT REPORT 新みなとまち紀行

Cover Issue  北海道の北端に位置する稚内市。その発展を、稚内港は樺太(からふと)との連絡基地に始まり、北洋漁業の拠点から商業港へと、時代の変遷に応じた役割を担い、支えつづけてきた。
 そして街はいま「日ロ友好最先端都市」と公式に命名されている。玄関口となる稚内港に、これまで以上の注目が集まるのは当然のことだ。市民のあいだには“港再発見”の気運が盛り上がりを見せている。


稚内港の歩み  稚内港の整備は、日露戦争によって南樺太(現サハリン南部)が日本の領土となり、交流が頻繁になったことから1920(大正9)年に始まり、1926(昭和元)年までに現在の北防波堤と北ふ頭岸壁の一部が完成。1936(昭和11)年、第一期工事が完了した。第二次大戦を経て日本が南樺太の領有権を失った後は機船底引漁と北洋漁業の拠点として栄え、1957(昭和32)年に港湾法による重要港湾に指定され、その後、植物防疫港、検疫港の指定を受けて、漁港から商業港へとシフトする。
 これに対応して、1960年代から港湾整備が本格化し、ふ頭の造成や防波堤の建設、臨海工業用地の造成などが進められた。1995(平成7)年に稚内とサハリン・コルサコフ間に日ロ定期フェリーが50年ぶりに就航。再びロシアとの交流拠点としての役割を担い始めた。まもなく操業開始予定のサハリン大陸棚石油・天然ガス開発の支援基地としての発展も期待されている。


アクセス
[鉄道]JR宗谷本線稚内駅より徒歩5分 
[車]道央自動車道士別剣淵I.C.より国道40号経由/
   留萌I.C.よりオロロンライン経由 
[空路]稚内空港よりシャトルバス約35分
[フェリー]利尻島間、礼文島間に定期便運航


ロシアへ、離島へ。道北の港は進化の道を歩みつづける

道北の流通拠点港の歴史

 JR稚内駅から東側へ足を向けること数分、日本海とオホーツク海の分岐点に位置する日本最北端の港、稚内港に着く。
 稚内に港がつくられたのは、江戸時代の天明年間(1781〜1789)に、漁場が開拓され、魚介類の搬送に利用されたのが始まりだ。その後、明治初期から中期にかけては北海道北部開拓の玄関口として街の発展を支えた。しかし、港が飛躍的に発展を遂げたのは、日露戦争終結後、日本が南樺太(みなみからふと・現サハリン南部)を領有したのを機に、樺太と本格的な往来が始まったことによる。1911(明治44)年、季節運航で稚内・大泊(おおとまり・現コルサコフ)間定期航路が開設。1923(大正12)年には函館・稚内の直通列車に接続する定期航路、その翌年には本斗(ほんと・現ネベリスク)間の連絡航路が開設。稚内港は樺太への最短航路の拠点として大いに栄えたのである。
 樺太との往来は第二次大戦後途絶えることになるが、北洋漁業基地や石炭の積出港、また利尻・礼文両島への生活航路の発着地という役割を得て、稚内港は盛んに利用された。それに伴って整備も進められる。1963(昭和38)年に中央ふ頭と北洋ふ頭が完成。その後も天北ふ頭、フェリーふ頭のほか、東防波堤の建設、臨海工業用地の造成などが進められた。現在の港の基礎は、戦後にこそ築かれたといえる。
 1977(昭和52)年の世界経済水域二百海里宣言により、遠洋漁業が盛んだった稚内の水産業は打撃を受けたが、利尻・礼文両島のフェリーが離島振興と観光に大きな役割を果たし、道北地域の流通拠点港湾としての稚内港の重要度はいっそう顕著になっていった。

[写真上]稚内港と市街の全景。日本海とオホーツク海の分岐である宗谷湾に面している
[写真下左]利尻島と礼文島への定期便が発着するフェリーターミナル
[写真下右]中央ふ頭に整備された国際フェリーターミナル

港を核とした地域振興

国土交通省 北海道開発局 稚内開発建設部築港課 中村 誠 港湾計画官

 1995(平成7)年に就航した稚内−サハリン・コルサコフ間の日ロ定期フェリーの就航により、稚内港は再びロシアとの交易港となる。
 ロシア交易の復活は、さっそく地元に明るいニュースをもたらした。 1997(平成9)年11月26日、ロシアの活カニ運搬船が一挙に57隻も入港。この年の外国船入港船数は4,311隻に達した。外国船の入港が年間4,000隻を超えたのは道内初。全国順位も第7位にランクされ、また輸出入総額も164億3,000万円となったのである。
 こうした動きを受けて、稚内港ではさらなる物流と人流機能の強化を図るためにさまざまな整備が進んでいる。そのひとつが稚内市の市街地再開発と呼応した、中央ふ頭への離島・国際フェリーターミナルの移転だ。国土交通省北海道開発局稚内開発建設部築港課の中村誠港湾計画官に話を聞いた。「現在、北ふ頭にある利尻−礼文両島およびサハリン定期航路を、中央ふ頭地区に移転する工事が2008(平成20)年度の完成を目指して進められています。これにより、離島観光と国際観光が一体となった地域振興が期待できます。また、有事の際には離島のライフラインを確保できるよう、中央ふ頭に耐震岸壁を整備しています」(談)。
 移設後の北ふ頭跡地は緑地として整備され、駅前と中央ふ頭を結ぶ導線の整備も予定されている。新しい稚内港が姿を見せるのは、もうまもなくだ。

[写真左から1枚目]フェリーターミナルやホテル複合施設などが設けられた北地区
[写真左から2枚目]延長1,300m、水深−5mの泊地が整備された港地区
[写真左から3枚目]天北地区の公共ふ頭にはロシア船も多数寄港する
[写真左から4枚目]漁業基地である港地区には、稚内名産の新鮮な魚介類が水揚げされる

[写真左]末広ふ頭のダブルリンク式引込クレーン
[写真中]地盤改良された末広ふ頭のストックヤード
[写真右]末広地区には稚内港で最大クラスの船が入港できる