PORT REPORT 新みなとまち紀行
Cover Issue 礼文島と並ぶ日本海最北の離島である利尻島。島全体が日本有数の水産拠点として歴史を重ねてきており、沓形港も長きに渡って漁業基地として発展してきた。さらに近年は、利尻・礼文両離島の観光需要が高まり、大型フェリーなどの寄港に対応するための港湾整備や、島の防災拠点としての機能も拡充。漁業と観光、住民の安心な暮らしを担っていく。
沓形港の歩み
沓形港は利尻島の西海岸に位置。付近海域には武蔵堆(むさしたい)などの漁場を控え、昔から漁業で発展した地域である。
港の修築は1921(大正10)年、当時の沓形村長をはじめ地元の陳情により漁港修築工事としてはじめられた。1926(昭和元)年、漁港の完成にともない、小樽航路の寄港地や物流拠点としても歩みはじめた。
近年では、大型フェリーの就航や貨物船入港などへの対応、および島の災害対策拠点として耐震強化岸壁や3,500t級フェリー岸壁を整備。また展望防波堤や浮桟橋の新設など、観光支援機能の充実が図られている。
アクセス
[空路]利尻空港から車で15分
[海路]稚内港と鴛泊(おしどまり)港間に定期連絡船
香深(かぶか)港(礼文島)と沓形港間に定期連絡船
恵まれた漁場を背景に栄えてきた最北の島
自然豊かな北の離島
北海道の北端・稚内市から西へ、海路約50km沖の日本海に利尻島がある。楕円状の島の面積は182.11k㎡、外周を巡る道路は総延長53.3km。島を1周するのに、車で1時間もあれば充分だ。道中の大半で、車窓から広大な日本海を臨み、島の西側では、海の向こうに礼文島の島影を確認することができる。
アイヌ語で「高い山」を意味する「リイ・シリ」に由来する名前のとおり、島の中央には標高1,721mの利尻岳がそびえる。その雄大な姿は礼文島から、また道北の日本海沿いの町からも望むことができ、別名「利尻富士」とも呼ばれる。
島を真上から見下ろし、北西から利尻岳の頂上を経て、真南に向けて緩やかなカーブを描くように、西側の利尻町と東側の利尻富士町に分かれており、2つの海沿いの町には約6,000人の島民が暮らす。
緯度の高い離島で、年間の平均気温が低いといった地理的特性から、日本の他の地域ではなかなか見られない特徴を持つ自然が、手つかずのままで残っている島だ。野鳥や植物などは、準備と覚悟を決めて山を登って行かなければお目にかかれないが、海辺に立つだけで、その青の濃さに、これまで見たどの海とも違うという思いが迫る。そして、うしろを振り返れば低層のひなびた町並みと緑豊かな利尻岳。あらためて自分が離島にいるという旅情をかきたてられる。
利尻島の沿岸から沖合いにかけての海域は、天然の好漁場として名高い。と言えば、誰もが思い浮かべるのが利尻昆布だろう。これは単に利尻産の昆布という意味ではなく、単独の種を表す「リシリコンブ」という学名である。その他、ウニやアワビ、ホッケなど、特徴的な自然環境をバックヤードとした水産業が、島の経済を支えている。
[写真左]礼文島から利尻島を望む [写真中]町の人々が集って、干した昆布を収穫する
利尻島の昆布漁
地元のタクシー会社に勤務し、利尻島の昆布漁にも詳しい須藤寿徳さんに話を聞いた。「島の天気は変わりやすく、また場所によっても異なります。昆布漁の“親方”は、夜中の2時過ぎ頃、草花などについた露の状態を見て天気を判断し、昆布の干し場を決めます。
漁師だけでなく、商店をやっている人なども借り出されますし、バイクにテントを積んだツーリング客に、宿泊場所と食事を提供する代わりに、手伝ってもらうこともあります。
そんな様子が見られるのも5月から9月のあいだだけ。冬場の利尻の自然は厳しい。雪もさることながら風が強いのです。地面に積もった雪が風で舞い上がる「地ふぶき」で、前が見えなくなります。冬季でも、タクシーはお年寄りを病院に連れて行くときなどにご利用いただきますが、あまりに天気が荒れると仕事にならず、やむなく帰宅する日もありますよ」(談)
須藤 寿徳さん
北海道の初の漁港修築
離島における港の存在は、ことのほか重要だ。小さな利尻島だが、4つの港が設けられ、それぞれの役割を果たしている。
島の一大産業である漁業の中心は、利尻島の南部に位置する仙法志(せんぼうし)漁港。 漁港周辺の浅瀬では、昆布・ウニ・ワカメ等、沖合では天然礁によるイカ・マグロ・ホッケなどが豊富に水揚げされる。
島の北東に位置する鴛泊(おしどまり)港は、稚内港間と礼文島の香深(かぶか)港間に定期航路が就航、利尻空港にも程近いとあって、観光客を受け入れる玄関口として、また、沿岸漁業基地や島の燃料備蓄基地としても機能している。鴛泊港から南へ下った鬼脇港は、流氷に閉ざされることがなく、かつ北海道内とも短時間で往き来できる優位性を持ち、鴛泊港の補完港に位置づけられている。
島の西側に位置する沓形港には、香深港との連絡船が周航。近年の港湾整備により大型客船の寄港も増えており、移出貨物の6割を占める石材の積出し港としても知られる。また、付近の海域は豊富な魚種に恵まれており、古くから漁港としての役割も果たしてきた。漁港としての完成は1926(昭和元)年。岩内と並んで、北海道初の漁港である。
明治初期には、とくにニシンの群れをはじめ、タラ・カレイ・マグロ・イカなどが豊富で、漁場として栄えてきたが、天然の良港となる場所は限られていたため、住民は少しでも港に適した地形の場所を探し出し、利用するようになった。沓形港は沓形岬周辺の地形がわずかながら天然の湾に近い形状をなしていたことから、港として利用されるようになっていた。
1919(大正8)年から漁港建設の調査に着手、翌々年から修築工事がはじまる。漁港の完成とともに、小樽航路も開設され、沓形港は利尻島を代表する港として歩みはじめたのだ。
沓形港から望む利尻岳
[写真左]沓形港に隣接する浅瀬では昆布やウニが 豊富に水揚げされる [写真中]礼文島との定期連絡船の発着所
[写真右]仙法志漁港は現在の利尻島の中心的な漁業基地