『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて
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リハビリや入浴もできるお年寄りの社交場
私たちが訪れた日の夢ウエル丸は、北木島・楠港で活動していた。10時少し前に浮桟橋に着いた船にお年寄りたちが集まってくる。船と桟橋の間には鉄製のスロープが渡され車椅子でも簡単に乗船できるようになっている。
夢ウエル丸のサービスは昼食以外は無料。介護保険とは別枠で運営されているので、介護認定を受ける必要はない。予約もいらないのでみんな好きなときに来て、好きなときに帰っていく。
乗船するとまず、血圧と体温を測る。とくに体調に問題がなければ、あとはマッサージマシンを使ったり、手芸品を作ったり、2階でカラオケをしたりと自由に過ごす。時には専門の先生に来てもらって、体操などを指導してもらうこともある。この日は看護婦や介護士の資格を持つスタッフが、ボケを防ぐ歌詞を盛り込んだ替え歌やクイズ、簡単な体操などのカリキュラムを用意していた。何をするかは厳密に決められているわけではなく、その場の流れで臨機応変に変えていく。体操をするときも立ちあがってその通りに体を動かす人、座ったまま上半身だけ動かしている人、隣の人とおしゃべりに夢中になっている人、とそれぞれに好きなことをしている。どのお年寄りものびのびと楽しそうで、船には笑顔が絶えない。
生活指導員として乗り込んでいる中塚俊夫さんは、夢ウエル丸に乗るようになって6年になる。「笠岡でも一人暮らしのお年寄りが多いので、いい話し相手、相談相手になるよう心がけています。お年寄りの顔がいきいきしてくるのを見ると、私の方も元気になりますね」。
ある港では事故で半身不随になり十数年寝たきりになってしまったにもかかわらず、夢ウエル丸の歩行訓練器でリハビリに励んだ結果、歩けるようになるまで回復した人がいたそうだ。また別の港では、同じく寝たきりで何年も風呂に入れなかった人が特殊浴槽で入浴したときに「もう一度風呂に入れるとは思わなかった」と感激の涙をこぼしたという。
こうして今はたくさんの人が利用するようになった夢ウエル丸だが、最初のころは「身内を差し置いて役所や他人の世話になるなんて」といった抵抗感が強く、なかなか利用してもらえなかったそうだ。「本人もさることながら、周りの視線が厳しかったようです。それを『将来はみんなにかかわってくることだから』と説得して、これだけの方に来ていただけるようになりました」。
この日来ていた河田美智子さんと薮井寿子さんは、夢ウエル丸が楠港に来たときはたいてい来る、という。「ここは寄る(集まる)いうのが楽しいんです。お年寄りが寄れるところってそうそうありませんから。お昼もみんなと話しながら食べたほうがおいしいしね」。
夢ウエル丸が来港するときはマイクで呼びかけたり、掲示板に日程を張り出して、なるべく多くの人に知らせるようにしている。また一人暮らしのお年寄りの家を訪問して声をかける、といったこともしている。
夢ウエル丸には特別なケアや治療のほかに、お年寄りのサロン、社交場としての役割が大きいようだ。こうして月に何度か楽しいときを過ごすことで心に張り合いが出て、体も健康になる。福祉船を運航させることでそれぞれの港に交流の場を作る、そのアイデアに改めて感心させられた。笠岡諸島の港には、今日も船に集まるお年寄りたちの元気な笑い声が響いている。
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スタッフに血圧を測ってもらうお年寄り。周囲では歌や踊りで楽しむ姿も見られる
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1階の浴室。手前は一般の浴槽、後方が寝たきりの人でも入浴できる特殊浴槽。海を見ながらの入浴は都会では味わえない気持ちよさだ
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午後2時過ぎ、活動を終えて笠岡港に戻る夢ウエル丸。左手に見える銀色のドームはこの付近で棲息している「生きた化石」カブトガニの博物館
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夢ウエル丸が出航したあとの北木島楠港。静かでのどかな海が広がる
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高島港の近くで底引き網の手入れをしていた漁師さん。シタビラメ、クロダイ、ワタリガニなどが獲れる、と教えてくれた
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北木石は大阪城築城の際、石垣としても使われた。この「重ね岩」は大阪城へ運ばれた石の積み残しと言い伝えられている
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北木島でとれる「北木石」は日本橋や三越本店など、明治以降の石造建築物に多く使用された。島では家の石垣や石段、港の防波堤などにこの北木石をふんだんに使っている