『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて

『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて

高知新港から浦戸湾を一周する

 現在、整備を進めている高知港において、新しい要となるのが「高知新港」だ。浦戸湾内にあるフェリーふ頭を将来新港に移転し、さらに大型外貿コンテナふ頭も新設され、新たな物流拠点とする計画だ。昭和63年から護岸や防波堤の整備に着手し、平成10年3月から−12m岸壁の供用が開始された。太平洋にそびえるガントリークレーンが、国際ターミナル高知新港のシンボルだ。コンテナヤードに隣接して、高知FAZ(輸入促進地域)の冷蔵倉庫やオフィスなど、輸入ビジネスを支援する施設が建ち並ぶ。高知インターに直結する高知新港臨港道路も整備され、本四架橋や高速道路網の充実により県内のみならず中国・関西地方とアジア・太平洋地域を結ぶ国際交流港湾として期待されている。外洋に面しているだけに防波堤の築造が不可欠で、順次岸壁の供用開始に向け整備事業が展開されている。

 新港から県道を西に進むと左側に種崎の海岸が見えてくる。四国の太平洋側は一見海水浴場が多いようにも見えるが、実際には水深が深く、海水浴に適した浜辺は驚くほど少ない。高知でもここ種崎海水浴場が唯一だ。親水護岸や緑地が整備された美しい浜辺だ。

 さらに西へ向かい展望台のような浦戸大橋で湾口を横断する。高知港を訪れる船を最初に迎えるのがこの浦戸大橋だ。橋の右手に広大な内港、左手に太平洋、しかしこの港の入り口はわずか200m程に過ぎない。種崎地区と対岸の桂浜地区が自然の防波堤として浦戸湾を仕切っているような地形だ。その桂浜地区は観光名所として有名なエリア。緑豊かな松林に抱かれた海岸が美しい桂浜、土佐闘犬センターや坂本龍馬記念館など観光ポイントはここに集中している。

 ここから北へ市街地を目指す海岸線には漁港施設が点在するほかは自然の環境が残されている。道路は細く人通りも多くはないが、漁師町の風情が漂っていた。そのさらに北へ向かうと「ハーバーリフレッシュ」の舞台になる港奥部に至る。潮江地区は緊急物資等の陸揚げ拠点として耐震強化岸壁も整備された。大型フェリーが停泊する泊地の南側にはセメント工場が広がり、高知港の中心部といえる港区だ。

 Uターンするように港を東側へ回り込むと、中央卸売市場のある弘化台地区、造船場や木材埠頭が連なる仁井田地区を経て種崎地区に戻ってくる。
 港の海岸線を巡るにつれ、産声をあげた「ハーバーリフレッシュ」計画の概要や、国際港として躍進する高知港のたくましい姿が見えてきた。

港口部にかかる高さ50m全長1,481mの浦戸大橋

歩行者の足となり港を横断する渡船は三畳瀬地区と種崎地区を結ぶ

300年の歴史をもち土佐の温もりを伝える「日曜市」も有名だ

市街を走る土佐電鉄の路面電車「土電」

港に隣接する憩いの場「わんぱーく・こうち」

緑深い松林と白波の調和が美しい桂浜

写真/西山芳一

COLUMN

高知の港を護る世界最大級の防波堤

 三里地区の高知新港の沖合いに世界最大級のPC鉄骨式長大ケーソンがある。
 
 高知新港は西日本に海の玄関口として早期の供用が期待されていたことから、防波堤整備においても工期の短縮と経済性が求められた。しかし、太平洋に面しているため波浪が厳しく、大水深である高知港の外海の気象海象条件は非常に厳しいものがあった。そこで計画されたのが世界でも初めての試みとなる、長さ100mに及ぶ長大ケーソンの開発と実用化である。堤体を長くすることにより波圧の平滑化を図り、堤体断面の減少によって工期短縮と経済性が可能となったのだ。ケーソンの構造には、本体の鉄筋コンクリート構造を鋼桁によって補強し、さらに水平方向にPC鋼材を使用するハイブリッド構造が採用された。全長100m、幅19.7m、高さ13.5mに及ぶ巨大なケーソンとなると従来の施設で製作することは難しい。そのためケーソンは岡山県玉野市の造船所で製作され、高知港まで明石海峡、室戸岬沖を経て、330kmの距離を4日間を要して曳航された。
 
 据付にあたっても波力と水圧の影響を最小限に止めるため8台のウインチと4隻の曳船を用いて、細心の注意を払ってレベル制御が行われた。可能な限りの施工手順の簡素化と、的確な瞬時の判断を要求される作業であった。
 
 現在この長大ケーソンは両側に100mずつの標準型ケーソンを従え、全長300mの仮防波堤として泊地を護っているが、将来的には三里地区の東第1防波堤として移設され、最終的には1,000mを超える防波堤として整備される。

長大ケーソンの据付作業