21世紀に伝えたい『港湾遺産』
[No.10] 高知・手結港(内港) 資料編
野中兼山(1615〜1663)
寛永8年(1631)から寛文3年(1663)までの約30年間、土佐藩の要職に就いて藩政に力をふるった。治水・利水・築港などに多くの業績を残しており、有能な政治家であると同時に技術者でもある。
地域開発や技術的側面から特に大きな成果をあげたのは、手結港をはじめ津呂港、室津港といった港湾建設だ。手結港は古くから港があったが、太平洋の荒波で土佐湾沿岸では漂砂による港の維持が難しく、兼山が藩政に力をふるっていた当時も、港の機能をほとんど失っていた。兼山の築港は、古くからあった港の改修ということができる。しかし、改修後も漂砂に悩まされ、土佐藩では5年に一度の「港掘り(浚渫)制度」を設けて維持に努めてきた。
掘込港湾
手結港は、一般的には日本最古の掘込港湾といわれているが、実際には岩礁海岸の窪地に石垣を築き、背後を埋立ててつくったものであり、むしろ埋立港湾の部類に属するという説もある。
ただ、築港には掘削をともなっており、ここでは掘込港湾と位置づける。
手結港の古図
原形修復工事
手結港は、大正4年(1915)に外港が建設され、主要な港湾機能は外港に移された。兼山が築いた港は、いまでは内港として漁船などの係留に利用されている。
平成3年度(1991)からは原形修復工事が始まった。護岸を創建当時の空積みによる野面石乱積みの石垣に戻すものである。さらに街灯、欄干などの修景工事もあり、第一期工事が完成し、現在はエコポート(環境と共生する港湾)としての活性化が図られている。
護岸の断面図
(出典:「手結内港及び周辺地区整備構想」)
石積護岸の年代別構成
(出典:「手結内港及び周辺地区整備構想」)