21世紀に伝えたい『港湾遺産』

[No.12] 長崎・小菅修船場跡 資料編

トーマス・グラバー Thomas Glover(1838〜1911)

 小菅修船場というとグラバーとの結びつきを連想するが、もともとこの構想は薩摩藩家老の小松帯刀らの起案によるものである。しかも当初はフランス人のモンブラン伯が深くかかわり、グラバーがかかわったのは最後の段階である。

 グラバーはスコットランドのアバディーンの生まれ。20歳で上海のイギリス系商社に勤めていたが、安政6年(1859)に開港直後の長崎に来日したといわれる。グラバー商会を設立し、船舶や武器などの軍事品や機械類の輸入によって長崎での地盤を築いていった。

ソロバンドック

 通称こう呼ばれる理由は、船体を載せて引き揚げる台車が、ちょうどソロバンの形状に似ていることからというのが一般的である。

 明治期の撮影になる写真には、巨大な魚の骨のような台車(架台)が見られる。ただし、そこからは名前の由来になるソロバンという形はイメージし難く、いつからそう呼ばれたのかも定かではない。

 稼動時は、捲上機小屋から伸びるチェーンで台車を引き揚げた。斜面の中央にはラックレールがあり、引き揚げる船が途中で滑り落ちることを防止する役目をもつ。

蒸気式捲上機

 捲上機小屋の中には、縦型2気筒の蒸気機関がある。ボイラーは明治34年(1901)に取り替えられた。25馬力で、現存するわが国最古の蒸気機関である。

 蒸気機関から続く歯車機構は全部で8つの歯車からなり、直径は最大で315cmにもなる。最小で59cm。4段の組み合わせで約80分の1の減速になる。最終段の大きな歯車に連結されたギアからは巨大なチェーンが溝の中を通って外に伸び、自転車のチェーンのように回転する。この設備で最大1,000tまでの船を引き揚げるのである。

捲上機小屋

 煉瓦造平屋建ての捲上機小屋は、鹿児島の集成館機械工場などと並び、わが国に現存する最も古い煉瓦造建物のひとつ。近代建築史上においても貴重な遺構として知られる。

 煉瓦は市内あるいは近郊のレンガ工場で製作された。寸法は220mm×100mm×40mm程度。現在の規格より薄いもので、当時かなりの量が製造されていた。薄くて形状がこんにゃくに似ていることから、“こんにゃく煉瓦”の呼び名が生まれた。

捲上機小屋内

明治10年、上架修理中の東海丸(1,042t)
(三菱重工(株)長崎造船所史料館所蔵)

敷地内平面図
(三菱重工(株)長崎造船所史料館所蔵)