21世紀に伝えたい『港湾遺産』
[No.19] 山形・山居倉庫
神の米を守り続ける中洲の蔵
山形県酒田市街を流れる新井田川のほとりに建つ山居倉庫は、明治26年(1893)に酒田米穀取引所付属倉庫として創設された土蔵造りの堅牢な蔵である。12棟の倉庫のうち1棟は資料館として公開されているが、残りの11棟にはいまでも庄内経済連の農業倉庫として庄内米が保管されている。
設計者は現在の山形県鶴岡市出身の名工、高橋兼吉と伝えられている。高橋は弘化2年(1845)、大工職人の次男として生まれ、生地で修業後に横浜で洋風建築の技術を修得した。帰郷した高橋は、庄内藩主酒井家のお抱え棟梁としてその技術を開花させる。
その高橋兼吉が施工した山居倉庫の最大の特徴は、湿気対策として設けられた二重構造の屋根部である。倉庫裏に植えられたケヤキ並木は、海に面した河口地域ならではの浜風や西日を避けるためのものだ。現在は鉄線や釘による補修がなされているが、当初は木製の楔のみを使用した建造物だった。
さらに注目したいのはその基礎構造である。山居倉庫は、最上川と新井田川が合流する河口部にある通称「山居島」と呼ばれる中洲に築造された。地盤は少しでも雨が降るとすぐに浸水する軟弱な地盤だったため、敷地約2万㎡に高さ3.6mにおよぶ盛土を施した。当時としては膨大な量の土砂が陸路、海路を通じて運び込まれた。さらに周囲を45度の傾斜をつけた石垣で固め、倉庫の基礎石の下に約3.6mの松杭を打設し地盤をゆるぎないものとした。また現在の床部分はコンクリートで整然と整備されているが、当時は地面からの湿気を遮断するため、粘土質の土に「にがり」を混入して厚さ60cm以上敷設した土間であった。表面には厚さ3cmにおよぶ塩を敷きつめる厳重さだ。さらに木材を井桁状に組み、その上に茅を敷きつめて神と崇められた米を大切に貯蔵したと伝えられる。
実りの秋には米を満載した小鵜飼船が次々に接岸し、女丁持と呼ばれる女性たちが米俵を軽々とかついで船着場から蔵に運び込む姿が風物詩となった。周辺一帯は往時の面影を残し、いまでは酒田を代表する観光名所の一つとなっている。
船着場には荷役作業を円滑にする石畳の斜路がある。
最大の敵である湿気から米を守る二重構造の屋根。
建物は釘を一本も使わず造られた(現在は鎹などで補強)。