21世紀に伝えたい『港湾遺産』

[No.21] 福岡・三池港閘門 資料編

築港工事

 三池港は、干満の差が5.5m以上のある有明海に三池炭鉱から採掘された石炭を積み出すための大型船を接岸するためにつくられた港だ。閘門式の水門で有明海と港内を遮断し、水位を一定に保って干潮時にも大型船が着岸できるように計画された。

 工事は明治35年(1902)に着工し41年(1908)に完成する。まず埋立地の外周となる汐止め堤防(諏訪川河口から5カ所2,840m)の築造から開始された。堤防の石は、陸岸からの車両運搬と天草から切り出して海上運搬し海中投棄で積み上げるという2つの方法が採られる。干拓部分の中は11m掘り下げ、繋船岸、護岸の石積みをし、排土裏側周辺の埋立地側に充填していったが、不足分は仮設軌道で陸上から運搬した。

 閘門式水門にして海水を調節することで内部は常時8.5mの水位を維持するのである。三池港の完成によって、それまで長崎県口之津港まで運んで大型船に積み替えていた石炭の積み出し能力は、飛躍的に効率性が高まった。

閘門式水門

 三池港のシンボルである水門施設、建物、機械などは開港当時からのものがいまでも現役で稼働している。水門はパナマ運河と同じ洋式でつくられており、最大1万tクラスの大型船の荷役も可能にした。

 水門は、幅20mの水路に設置された2扉観音開きになる鋼鉄製。水圧シリンダーで開閉する箱型の形状をしている。イギリスの工場で製作されたものだ。門の高さは8.84m、水門内の底に合わせているので、門を閉じれば水門内の水位は8.5mまで深くなる計算になる。

 また、大型船が水門内に入港した時に海水を逃がす機構として、スルーゲートを水門の両側に配した。

 扉の遮水を確実にするため、接着面には船虫などの虫害に強く、比重が重い南米産グリーンハートという特殊な木材が採用された。港内の水中に予備を保管していたが、昭和56年(1981)に引き上げたところ、80年近くたっていたにもかかわらず十分に使用に耐えられるものだったという。

近代産業遺産

 水門を開閉させる水圧シリンダーや水流ポンプ、さらには港内に停泊して最大15tの重さを吊り上げ可能な蒸気式クレーン船の大金剛丸(イギリス製、1905年以前)、積み込み能力が1時間当たり300t(設置当時400t)の三池式快速石炭船積機械(1911年)など、日本の近代化に不可欠だった石炭産業を支えた産業技術遺産は、いまも港内で見ることができる。