21世紀に伝えたい『港湾遺産』
[No.21] 福岡・三池港閘門
干潟の海を屈指の近代港湾に
明治中期、三池で採掘される石炭の需要は増大し、その出荷量はそれまで使用していた大牟田港の積み出し能力をはるかに凌駕していた。明治35年(1902)、潮の干満に左右されることなく安定的に直接船積みができる人工港として計画されたのが三池港だ。大牟田地区は有明海に面しており、この海は干満の差が激しかった。そのため、名産となるムツゴロウなどの海産物を育む干潟が発達する半面、大型船を着岸させ石炭を積み込むことは困難だった。6年の歳月を費やし明治41年(1908)に竣工した三池港は、この潮位差を克服するための施設として閘門式の水門を備えていたのが大きな特徴だ。長い防波堤をもつ内港に水門を備えることにより、約165,000㎡の面積をもつ港全体をあたかもウェットドックのような機能を持たせた。すなわち水量調整の機能をもつ閘門を設置することで、港の水位は潮の干満とは関係なく常に8.5mに保たれることになった。
閘門は水路幅20m、水深は干潮面下で5.5m。鋼鉄製のマイターゲート方式で、木材を核に、干潮面上10ft(3m)まで鉄板が張られた。1葉87tという巨大な門扉で港の水位を保つ。細部の設計と施工はイギリスのテムズ・シヴィル・エンジニアリング社に依頼された。閘門は幾度もの補修をへて、いまも現役で働いている。
昭和27年(1952)に門扉の交換補修が行われた時の古い木材(グリーンハート材)はいまも保管されており、開港当時の姿をしのばせる貴重な証拠として展示公開されたこともある。100年近くもの間、勤勉に働き続けた閘門には、港を支え続けようとする強靱な意志と港を支えてきた誇りすら感じられる。
平成6年(1994)には輸入米指定港となり、平成10年(1998)には公共のバースの供用も開始されたことにより、三池港は有明海唯一の国際貿易港として新たな世紀を迎えた。中九州の物流を支えるために生まれ変わろうとしている今日の三池港においても、閘門はその根幹を支える重要な設備として、明治の姿そのままに生き続けている。
開かれた閘門。扉はスッポリと水路の石垣内に納まる。
閘門を開閉する機械設備。イギリス製で今も現役だ。
閘門を開閉する機械設備。イギリス製で今も現役だ。