21世紀に伝えたい『港湾遺産』
[No.23] 神奈川・横浜船渠第二号ドック 資料編
恒川柳作(1854〜1914)
ドック建設のスペシャリストと呼ばれた恒川は、横須賀製鐵所内に設けられた教育機関の「黌舎」で育った海軍技師。横須賀製鐵所をつくったヴェルニーの薫陶を受けた技術者である。ヴェルニーが教育に情熱をそそいだことは広く知られるが、明治の半ばになると近代日本を背負う日本人技術者がすでに第一線で活躍していたわけである。 恒川は、ドックの計画者であるパーマーの死去にともない後を引き継いで完成させた。日本古来の石積みとは異なった工法による、日本の近代土木技術の最も初期の建造物であり、現存する商船用石造ドックとしては国内最古のものである。恒川は横須賀製鐵所のドック建設にもかかわっており、横須賀で得た技術が横浜で実を結んだ経緯は興味深い。
ドック平面図
(三菱地所株式会社所蔵)
ドック縦断図
(三菱地所株式会社所蔵)
規模
第二号ドックは、明治29年(1896)の竣工で全長は107m。伊豆地方産の安山岩・新小松石約12,000個が使われた。ドックヤードガーデンとして再生された時に長さは少し短くなったが、幅は29m、深さは10mもある。
順序は逆になったが、明治31年(1898)には第一号ドックも竣工した。やはり恒川の設計によるもので、全長は168m(大正時代に204mに改修)もある。この2つのドックの建設費は1,321,651円にのぼった。
国の重要文化財
平成9年(1997)の第二号ドックに続き、同12年(2000)には第一号ドックも国の重要文化財の指定を受けている。ドックヤードガーデンとして再生された第二号ドックはいまや横浜の人気スポット。憩いの空間・イベントスペースへと再生保存した手法は、これまでの土木構造物の保存の概念を変えた先駆的な事例であり、今後の一つのあり方を提示したものとして注目できる。