21世紀に伝えたい『港湾遺産』

[No.23] 神奈川・横浜船渠第二号ドック

石造ドック技術の最高到達点

 明治20年代、日本は国家事業として横浜港を国際貿易港に整備しようとした。「横浜船渠第二号ドック」は、国際貿易港に欠かせない修船設備としてつくられた。明治30年代以降はコンクリート造ドックが主流となったため、このドックは日本の石造ドックの技術が最高水準に達した時期の石造乾ドックといえる。

 横浜港の築港計画はイギリスの陸軍工兵少将パーマーが立案したが、ドックは着工が遅れたため、実施計画は海軍技師の恒川柳作(つねかわりゅうさく)に委ねられた。明治以前から築城工事などで成熟していた日本の伝統的な石切、石積みの技術と、イギリス式、フランス式の設計、施工技術の融合がこのドックをつくりあげたのだ。中央部から左右対称に整然とした石積み構成に、当時の技術水準の高さを見ることができる。

 ドックは、深さ4〜5mの埋土層およびその下の土丹層(上総層群)を掘り込んで建設された。側壁には神奈川県真鶴、伊豆地方産の40〜60cmの矩形の本小松石がていねいに積み上げられ、目地にはセメントモルタルが使用されている。底盤はコンクリートを打設した上に同じく60〜80cmの矩形で厚さ40〜70cmの本小松石が層状に敷きつめられている。

 明治以降、世界的な造船国へと発展していった日本の「造船技術」へのこだわりは、ドック造りから始まっていたことがわかる。

 現在「横浜船渠第二号ドック」は、横浜ランドマークタワーの足元に「ドックヤードガーデン」として移築され、ドライドック本来の姿がほぼ完全な状態で再現されている。移築のための解体工事時の調査では、100年近くの時をへた石や目地のセメントモルタルには、海水中のイオン浸入以外に劣化は一切見られなかった。再び積み上げられた石には、まるで明治からの造船王国日本の歴史が刻み込まれているかのように苔や塗料のこびりつきが見られる。

 平成2年(1990)には、渠頭部底盤先端の裏込めコンクリート内から、鉛に包まれた木箱に入ったドックの「建基式紀念」の銘板が発見された。現在、ランドマークタワーの3階に展示されており、設計および監督技師として恒川の名前も見られる。

明治の職人芸の粋というべき堅牢で完璧な石積。

積まれた石の一つひとつに番号がふられ移築された。

巨大な造船施設も現在は人々で賑わう空間になっている。