『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて

『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて

工業の要、西港区。漁業の拠点、東港区。釧路の街を支える港の様々な表情。

 根室本線と平行するように走る港寄りの道路を、西から東へ辿ると、エリア毎に刻一刻と変化する釧路港の様子が良くわかる。昭和40年代から開発された比較的新しい西港区は、製紙の原材料となるチップや各種燃料、農産物等の貨物が取り扱われる大型の流通港湾。釧路川をはさんで隣接する東港区は明治期から漁港として開かれた港だ。現在でも漁船の水揚げ拠点となる漁業埠頭を起点に旧釧路川の河口部に広がっている。さらに東港区の東端、中央埠頭から旧釧路川を溯るように展開されるエリアは再開発が進められ、商業施設や大型ホテルなどが集中し、市民の生活圏と直結している。

 釧路港西港区には、チップを山積みにしたチップヤードや、酪農業を支える飼料をストックするサイロ型倉庫など、北海道の玄関口を象徴する港湾設備が集中している。北海道の資源の豊かさ、ダイナミックさを改めて感じさせるエリアだ。

 その西港区の第二埠頭が俄に活気付く時間帯がある。午後2時「ほくれん丸」が入港する時間だ。「ほくれん丸」は平成6年に就航した生乳の高速運搬船で、ここから茨城県の日立港まで20時間、全国生産量の約3割にあたる最大2千トンの生乳を毎日関東圏へ供給している。船の両端からタラップが降ろされ、強大なミルクタンクを牽引する車両がひっきりなしに出入りする様子は、さながらフル操業する一大工場のようだ。

 東港区の中核となる漁業埠頭は、この季節、サンマの水揚げで活況を呈している。かつて日本最大の漁獲量を誇った釧路港の昨年の漁獲高は約20万トン。昭和44年以来13年間日本一だったその順位は徐々に低迷し、昨年は4位まで落としてしまった。今も道内1位の座は保っているが、ここ数年間で漁港の様子が変わってきたことは否めない。「これからは釧路でも漁業の在り方が変わってくるでしょう」と語るのは釧路市水産課の長谷川豊課長。「漁業協定による漁獲制限や、海外からの水産物の輸入増加、後継者不足等、大きな課題があります。将来の釧路の漁業は養殖をはじめとする『育てる漁業』に移行していくかもしれません。今までのようにそこに魚がいるから獲れるだけ獲るという発想を転換して、守り、育てる漁業の研究を進めているところです」。漁業埠頭では、折りしもサンマの水揚げの真最中だった。埠頭の至るところで漁船から吊り揚げられるサンマが銀色の光を放ち、漁師たちの表情には誇りと活気があふれていた。

 漁業埠頭からさらに東進、中央埠頭から旧釧路川を溯上するように陸側に向かうと、近代的な建物群が目立つようになる。ここ河口部の幣舞橋から北大通りを経てJR釧路駅に向かうエリアが釧路の中心街である。その幣舞橋のたもとに位置する「釧路フィッシャーマンズワーフ」は港を中心とした市民や観光客の憩いの場を、というコンセプトで進められてきたウォーターフロント開発計画の拠点だ。平成元年にオープンしたこの複合施設には釧路の産物を扱う店舗やレストラン、プールなどで構成される旅客ターミナル「MOO」とフード付きの全天候型緑地「EGG」が整備され、親水空間として人気を博している。近くにはかつて石川啄木が勤めていた旧釧路新聞社を復元したレンガ造りの「港文館」がある。ここでは明治末期の釧路港や町の様子、釧路での石川啄木の足跡を伝える資料が数多く展示されている。暮らしを支える港をより身近に感じることができるスポットである。

東港区再開発事業のシンボル「釧路フィッシャーマンズワーフ」。目の前には漁船の係留施設もある。まさに漁港ならではのアミューズメントスポット

物流港として整備された西港区。釧路の産業を支える物資が集散する

漁業埠頭に次々と水揚げされる旬のサンマ。港全体が沸き返る。「今年のサンマも最高だよ!」漁師たちの顔がほころんだ

歌人石川啄木が記者として活躍した旧釧路新聞社社屋を復元した「港文館」。敷き詰められた枕木が、かつて木材の集積地でもあった釧路を思い起こさせる

「釧路の漁協でもウニ、シシャモなどの養殖や、加工から販売まで手掛ける試みが始まっています」(釧路市水産課・長谷川豊課長)新たな時代に向けた釧路漁港の挑戦が続く

漁業と市民のふれあいの場として整備された「千代の浦漁港」。毎日多くの太公望が訪れ、にぎわいを見せる。海に向かって開かれた広々とした空間が気持ちいい

平成6年に就航した生乳専門運搬船「ほくれん丸」