『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて

『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて

人と人との「ふれあい」が息づく昔ながらの港、新しい街

 東港区漁業埠頭から道路1本隔てたところに海産物加工の工場直売店がある。一見ごく普通の海産物土産の売店のようだが、その隣のテントハウスに掲げられた「鮭番屋」という看板が気にかかる。そこでは売店で購入した海産物をそのまま焼いて味わうことができる仕掛けになっているのだ。「釧路の魚の本当のうまさを知ってもらいたいと思って始めたアンテナショップなんです。味と価格はどこにも負けませんよ」と胸を張るのは株式会社阿部商店の阿部秀夫専務。本体の加工会社は釧路でも有数の規模を誇る。「ここで寛ぎながらうまい魚を食べていただく。そのためにも味付けはほとんどしないんですよ。塩はほんの少し口に含むと甘く、砂糖は多くとると苦く感じてしまいます。釧路の魚はそのまま食べるのがうまいんです。その上安いとくればこんな贅沢なことはない。だからお客さんにも大変喜んでいただいてます。そんな『食』を通したふれあいを大切にしたいと思いますね」。

 再開発計画が進むウォーターフロントの一角に、往時の賑わいを偲ばせる倉庫が何棟か残されていた。レンガ造りの倉庫は現在でも物資の保管に活用されている。その中で周囲の倉庫とは趣の異なる重厚な一棟が目に入った。新しいスポットとして注目されている「浪花町十六番倉庫」だ。建造物としても学術的価値の高い貯蔵倉庫が丁寧に改造され、様々なイベントが毎日のように行われている。理事の能登智子さんにお話しを伺った。「もともとお芝居が大好きで、演劇の鑑賞会を組織していたんです。劇団を招聘して公共の施設で活動していたのですが、そうしたホールはいろんな制約が多くて大変でした。それならば自分たちで活動の拠点を作ってしまおうと...」。瞬く間に賛同者が集まり「手作り」の活動が始まった。NPO法人として活動の基盤も整備され、周辺企業の協力もあって今年4月にオープンしたという。「オープン直後から私たちの予想をはるかに上回る反響がありました。フラットで自由に使えるこの空間はジャズのライブからお芝居まで幅広く活用されています。夕方からはリングを張ってボクシングジムに変身したり利用者の皆さんの方が発想が自由なくらいです」。明治43年に建てられ90年の歴史を刻む港町の倉庫は、釧路の情報発信基地として市民の手により新たな生命を吹き込まれた。

 西港から東港まで様々な顔を待つ釧路港。その至るところで「ふれあい」を大切にする人達に出逢った。ここはこれから一年間で最も厳しい季節、冬を迎える。釧路はその厳冬の季節でさえ、温かく感じさせるであろう人々のぬくもりが、優しく息づいている町だった。

「店頭には最小限の魚しか出しません。無くなったら改めて倉から店頭に出す。だからいつも新鮮です」(阿部商店阿部秀夫専務)飾り気は無いが、新鮮な釧路の魚はとてつもなくうまい

釧路市街から10kmほど西に位置する昆布森漁港。定置網の準備から、昆布干しまで、休むことなく漁師が動き回る。小さいながらも活気のある漁港だ

昆布森漁港はサケの水揚げでにぎわっていた。「サケはもちろん、ここは昆布も最高だよ!昆布は頭の方がいいダシが取れるからね」サケを次々と選別しながら、漁師が教えてくれた

夕暮れ時を迎えた浪花町十六番倉庫。元は作家原田康子の生家である商家の海産物貯蔵庫だった

「まだ生まれたばかりの十六番倉庫。まず沢山の人たちに知っていただくことから始めています。」(浪花町十六番倉庫 能登智子理事)活動の可能性が無限に広がっていく

建造物として価値を保存するためにも十六番倉庫の内部は必要最低限の改修しかなされていない。立派な梁や柱が独特の効果を上げている。その中で演劇のリハーサルが行なわれていた

写真/西山芳一

COLUMN

市民に愛される釧路のシンボル幣舞(ぬさまい)橋

 釧路港近くの旧釧路川河口にかかる幣舞橋。ヨーロッパ風の街灯が霧に浮かぶ情緒ある姿で市民に親しまれている。札幌の豊平橋、旭川の旭橋と並ぶ道内三大名橋のひとつだ。

 幣舞橋の前身は明治22年に架けられた「愛北橋」である。このころ釧路では石炭採掘などのため本州から移住してくる人々が増え、市街地が急激に拡大していた。当時人々は釧路川の東側に住んでいたが、増えつづける人口にスペースが足りなくなり、釧路川の西側に集落をつくる必要があった。ところが当時の釧路川は川幅が今の2倍以上、200mもあり、川の東西の行き来は容易ではない。そこで明治19年、当時の釧路郡長、宮本萬樹は官費による橋の建設を上申する。しかし予算がなかったためか断られ、民間の費用による架橋を考えた。宮本郡長は愛北物産合資会社に出資を頼み、明治22年に釧路川で初めての橋「愛北橋」が架けられたのである。

 愛北橋は架けられてから9年後に落下してしまうが、明治33年には同じ場所に初代の幣舞橋が架けられた。幣舞橋は厳寒による川の結氷や、逆に暖冬による流氷の襲来などで何度か架け替えられている。現在のものは昭和51年に架けられた5代目にあたる。橋に立つ4体の彫刻「四季の像」は、架け替えの際市民からの要望で、現代日本を代表する4人の彫刻家に依頼して作られたもの。幣舞橋がいかに釧路市民から愛されているかを物語っている。