『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて
歴史のロマンに出会える港塩釜港区
仙台港区から北へ車を走らせること15分足らずで「塩釜港区」に至る。近代的な仙台港区とは対照的に、古き良き時代の面影を残す港だ。
前述した通り、港としての歴史は奈良時代から始まっていたが、藩制時代に藩主伊達綱村公による特別保護策のもと港の整備が進められ一挙に繁栄した。明治維新後、保護策が廃止され衰退したが、明治15年に改修工事が開始され、昭和初期にかけて再び活況を呈するようになった。戦時中に一時港勢が低下したものの、昭和25年の港湾法制定に伴い翌26年に重要港湾に指定された後、岸壁や桟橋など港湾機能が整備された。「塩釜港区は海域も浅く大型船舶に対応するには広さも十分とは言えません。また施設の老朽化が目立ってきたので内貿機能の充実を目的とした再開発事業を進めているところです」(松澤班長)。その先駆けとなったのが平成8年7月にオープンした旅客ターミナルの「マリンゲート塩釜」だ。観光桟橋に隣接して造られたこの施設はレストランやショッピングゾーンによって構成され、塩竈ならではの味と物産を求めて多くの観光客が訪れている。カマボコの生産が日本一の塩竈だけあって水産加工品が土産物の主役だ。1平方キロ当たりの寿司屋の数も日本一と言われる塩竈の寿司もここで味わうことができる。
観光桟橋からはカラフルな観光船が旅行客を日本三景・松島巡りに誘う。沖合に浮かぶ島々は桂島、野々島、寒風沢島、朴島の四島からなる浦戸諸島だ。島の歴史を訪ねるハイキング、春先の潮干狩り、塩竈ならではの海の幸など、四季を通して楽しむことができる。初夏から10月頃までは港の夕景夜景を堪能するサンセットクルーズやヨットセーリングなどマリンリゾートとして人気を集めている。
港から徒歩5分程の距離にあるJR仙石線本塩釜駅を中心に市街地が形成されている。この一帯は、鹽竈神社の門前町として発展した町だ。鹽竈神社は1200年以上の歴史を誇り、海上安全、大漁、延命長寿の神として今でも人々の信仰を集めている。町中には新しい商業施設やギャラリー、レストランなどとともに、川沿いの造り酒屋の蔵や石畳の舗道など、どこかしら懐かしい風景も残されており、良い意味で現代的な魅力と歴史的な情緒が混在している。地元ではこの町並みを保存するための活動も展開されている。
近代的な物流機能を整備し、世界を視野に入れた仙台港区、しっとりとした港町を控え、観光や内貿の拠点として訪れるひとを優しく迎える塩釜港区。この二つの顔をもつ仙台塩釜港は東北の海の玄関として活気にあふれた港だ。
松島巡りに訪れた人でにぎわう塩釜港区の観光桟橋
塩釜港区貞山埠頭1万t岸壁
「マリンゲート塩釜」では塩竈の旬の味を味わえる
塩釜港区は漁港の船溜りや修船施設が整備されている
鹽竈神社
歴史を感じさせる塩竈の門前町
写真/西山芳一
COLUMN
「野蒜(のびる)築港」の夢を今に伝える「貞山運河」
地図上で仙台塩釜港を確認すると、10km程離れた仙台港区と塩釜港区を結ぶ1本の水路があることに気づく。東北最大の物流ネットワーク構想の要となった「貞山運河」である。
明治政府が野蒜築港計画をスタートさせたのは明治11年。当時、唯一の国際物流の窓口となる近代港湾の整備事業は最重要課題であった。内務卿大久保利通は鳴瀬川河口に貿易港「野蒜港」を建設し、運河や河川を整備して県内の主要都市と岩手、福島、山形を結ぶ水運ネットワークの構築を計画する。鉄道、道路も未発達であった当時としては、物資の輸送は船運が主流であった。大久保は宮城、岩手間の米の輸送に欠かせなかった北上川に着目し、北上川と阿武隈川を水路で結んで東北物流の大動脈を造ろうと考えた。そのひとつが野蒜港から東名運河を通じて松島湾に至り、湾を横断して貞山運河に入り、阿武隈川から福島県に達するルートである。現在、狭義としての貞山運河と呼ばれるのは塩竈市牛生から岩沼市納屋にかけての全長28kmだが、さらに北の船運との関連性の強い北上川河口以北に伸びる北上運河と東名運河を含めると総延長約50kmに及ぶ、日本一長い運河と言われている。
仙台市内における貞山運河は行政区分上「河川」として位置付けられている。この水路の水辺をたどって見るとプレジャーボートの船溜まりや、農業用水路として活用されており、さらに水辺環境の体験型学習の場としての整備が期待されている。
東北最大の国家プロジェクトであった東北物流の整備事業は野蒜の内港が完成したところで大型台風の直撃を受け断念される。その失敗を教訓に仙台港区は掘込港湾として整備された。貞山運河の佇まいが当時の夢を今に伝えていた。
現在の貞山運河(塩釜港区中の島付近)