『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて
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急速大量施工で再生した港
満身創痍の奥尻港はそれでも震災直後から復興の拠点となる。「クレーン船で瓦礫、車両を港から引揚げ、3日後にはフェリーが入港できるようになりましたが、タラップを使えなかったので乗下船や荷役は車両用のゲートから行いました」(長崎係長)。救援物資を輸送する巡視船等の船舶も続々と沖合に集結し、積荷はタグボートによって陸揚された。島民の命をつなぐ貴重な物資が港から全島に供給される。傷だらけとはいえ、奥尻の心臓は決して止まることはなかった。
島民は悲しみを乗り越え、復興を誓った。国、北海道、奥尻町が連携し、復旧復興事業が展開された。今年4月から江差港湾建設事務所長に着任し、10年振りにこの島を訪れた北海道開発局函館開発建設部の荒井直人所長に当時のお話を聞いた。「まず正確な被害状況の把握が課題でした。短期間で港内の調査、測量、設計を完了し、すぐにでも工事を始めなければならなかった」と荒井所長は振り返る。島内の主な港において、測量作業に延べ750名、設計作業に1,750名にもの人員が、寝食を忘れてそれぞれの作業に取り組んだ。
奥尻港の北防波堤は最大で30mも押し流され転倒、基礎捨石や根固ブロックも広範囲に散乱していた。堤体が基礎工から破壊された部分は取り壊し、新設したが、先端部はケーソンを浮上させて基礎工を施し、再度据え付けるという方法がとられた。
全体が28〜66cmも地盤沈下し、先端部は10mにわたって倒壊した東外防波堤は、水中コンクリートによって基礎捨石の吸出を防ぐ基礎工が施され、先端部には新たに製作されたケーソンが据え付けられた。
海の玄関である奥尻港のフェリー岸壁は、最大約40cm沈下し、1m近くも海側に迫り出していた。しかし元の施設を利用した復旧は不可能だったため、8.5m海側に延長し、水中コンクリート直立堤によって新しい岸壁が整備された。背後埋立部分と施設用地には万全の液状化対策が施されている。
「壊れてしまったものを元に戻す『災害復旧』と、将来を見据えて施設を強化する『改修事業』、その両方の事業が島内のいたるところで、しかも同時に行われていました。通常では考えられないほど大規模な急速大量施工でした。」(荒井所長)
津波の被害が特に大きかった青苗や松江周辺では、町の単独事業も集中的に進められた。高さ11mを超える巨大な防潮堤が築かれた。青苗岬付近にあった市街地は、防潮堤の背後地を盛土して造成した高台へ集団移転された。集落ひとつが新しい丘の上に移動する大事業だ。さらに島の北側、稲穂でも水産庁の補助事業が認められ、防潮堤が築かれ、その背後に宅地や小学校が新設された。奥尻島はいま、総延長約14kmにおよぶ堅牢な防潮堤によって護られている。
町、道、国、そして港湾土木各社は、離島という特殊な環境をものともせず、懸命に復旧工事に取り組んだ。その結果、函館開発建設部管轄の奥尻島主要3港(奥尻港、青苗漁港、神威脇漁港)の本格的な復旧工事は、平成6年1月から開始され、翌7年の3月までにすべて終了した。通常の予算規模では7〜8年分にあたる工事量をわずか1年あまりで終えたことになる。そして平成10年3月、奥尻島は『完全復興』を宣言する。
江差港湾建設事務所は港湾の災害復旧工事によって「幾多の困難を克服して、短期間のうちに復旧させ、地域住民の生活安定に寄与した」として開発局長賞を授与されている。復興を目指して事業に携わったすべての人々に捧げられた栄誉と言えるかも知れない。
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奥尻町企画振興課 長崎武巳係長
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代表的な海の幸キタムラサキウニを模した「うにまるモニュメント」
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黒御影石で造られた「時空翔」のくぼみは震源地となった島の南西沖を向いている
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東風泊付近の海岸には階段状の親水護岸を建設中だ
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津波の襲来直後、火災が発生し市街地が焼き尽くされた青苗地区(写真:朝日新聞社)
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北海道開発局函館開発建設部 江差港湾建設事務所 荒井直人所長
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新しく生まれ変わった青苗地区の町並み
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壊滅的な被害を被った初松前でも高さ11mの防潮堤が町を護っている