『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて
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環境を保全しながら進める港湾整備
三島川之江港が歩んできた歴史は決して平坦なものばかりではない。工業港としての宿命ともいえる公害との闘いがあった。愛媛県土木部河川港湾局港湾海岸課の大澤利教課長にお話をうかがった。「かつて工場から排出される廃棄物等による公害が大きな社会問題になった事があります。そのため、この廃棄物を埋立の資材として活用し、同時に港を整備する努力をくり返してきました。その結果、新しい埋立地が造成され、効率的な加工貿易港が出来上がったわけです」。
瀬戸内海では海砂採取の禁止エリアも拡大しつつあり、干潟の再生などの環境保全事業も積極的に展開されている。瀬戸内海の自然、美しい風景を残しつつ、いかに港湾を整備していくかが大きな課題となっている。こうした背景を踏まえ三島川之江港も環境保全を重視した港湾整備に取り組んでいる。
大澤課長は港湾整備には行政、地域、企業が一体となった取り組みが必要不可欠ではないかと語る。埋立によって港を物流拠点として整備するだけではなく、企業用地としての土地の活用や、下水処理場など公共施設の建設が可能になるということだ。「ひとつの目的を達成するだけではなく、地域全体を振興するための多くの課題をクリアすることができるのが港湾整備だと思います」。
港の整備事業は10年、20年かかるもので、その成果を一朝一夕に目に見えるかたちで示すことが難しい。「だからこそ本当に必要とする課題を見極めつつ、集中して港湾整備事業を展開し、一日も早くその成果を地域振興に還元する必要があるのではないかと考えています」大澤課長はこのように話を結んだ。
瀬戸内海は「大きな池」!?
金子地区では前述した多目的国際ターミナルの整備事業が展開されていた。現場で檄を飛ばすお二人にお話を聞いた。五洋建設四国支店土木部の井上壮臣総括所長と、金子ケーソン工事事務所の小島節夫工事所長、四国の海を知り尽くしたベテランたちだ。大型岸壁と小型船の船溜まりを整備すると同時に、港湾関連用地や緑地、都市再開発用地も確保するという造成事業計画に沿って工事を進めているという。「現在、ふ頭用地の護岸となるケーソンを製作している段階です。来年にはケーソン据付工事が始まりますが、瀬戸内海は波が穏やかな分、干満の差が4mもありますから工事は決して容易ではありません」と小島所長は語る。瀬戸内には、干満差が大きく流速も速いという独特の海象条件がある。井上総括所長が続ける。「三島川之江港の北側に広がる瀬戸内海は、いってみれば『大きな池』のようなイメージがありますが、冬期のシケは結構大きくて波高も2m位になることもあります。施工にあたっては、その地域の気象海象にいかに順応するかが大切になってきますね」。
川之江地区でも埋立による土地造成事業が行われている。産業廃棄物の処分場の確保、船舶の大型化に対応する係留施設の整備などが主な目的だ。港湾と市民のふれあいの場となる緑地も整備される。地域の企業施設も集約し、住工混在を解消する町づくりにも寄与するものと期待されている。
わが国屈指の「紙の港」三島川之江港はいま、人と物の交流拠点として、新たな港史の1ページを開こうとしている。
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愛媛県土木部河川港湾局港湾海岸課
大澤利教課長
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金子地区西側の埋立地にはゴミの処理施設や緑地が整備されている
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体育館や運動場として解放されている金子地区周辺
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取扱量の増加に伴いコンテナヤードの整備も急務だ(大江地区)
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整備が進む金子地区
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金子地区の多目的ターミナルの護岸となるケーソンの製作も始まった
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五洋建設 四国支店土木部 井上壮臣総括所長(左)
金子ケーソン工事事務所 小島節夫工事所長(右)
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大江地区でも土地造成事業が進められている
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船舶の安全な航行、停泊を確保するため浚渫も展開されている(大江地区)
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川之江地区には昔ながらの瀬戸内らしい風景が残っている
写真/西山芳一
COLUMN
三島川之江に築かれた「お台場」
旧三島港、現在の金子地区の市街地に近い一角に、漁船の船溜まりがある。道路からその船溜まり越しに見える小高い丘が三島の「お台場」跡だ。
ここは寛政年間に港湾改築が行われ、東西約88m、南北約45m、水深約3.6mの「たんぽ」と呼ばれる小さな港が整備された、三島港発祥の地ともいえるエリアだ。
1853(嘉永6)年、ペリーが来航して以来、海岸線の防御を痛感した幕府は、海防を目的とした水際の整備を本格化させた。安政年間になると今治沖にも外国船が姿を現すようになったため、この地を統括していた今治藩は砲台を据付けるための「台場」の築造を命じ、これを受けた三島では港の北側に土を盛り、周囲を石積みで囲んだ陣地を造成した。また、同時期に川之江にも台場の建設命令が出され、海岸に台場が築造された記録が残っている。しかし、川之江の台場は地盤が弱い砂浜に築かれた上、台風の波浪を受けて崩れてしまったという。
辛うじて崩壊を免れた金子地区の台場周辺には、波止場の石積みも残されている。現在、これらの遺構を活かし、港の歴史を伝える記念公園を整備する計画があるという。歴史的な景観を残した、潤いのある親水施設となることだろう。
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