『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて
海への素朴な信仰が根づくたくさんの寺社
三崎では港に沿って料理店や寿司店、魚屋が軒を並べる。もちろん、どの店もマグロが売り物だ。最近はテレビや雑誌で「マグロの町」として紹介されることも多く、休日には多くの観光客がこの港町を訪れる。
町を歩いていくと、蔵が目につく。「三崎蔵」と呼ばれる独特の様式の蔵だ。この三崎蔵は、今でも住居として機能している。風が強い三崎では一度火事が起こると火のまわりが早く、大火になることが多かった。そこで燃えにくい蔵に住めば安全と2階の窓を広くして居住性を良くした三崎蔵が多く建てられるようになったのである。
三崎蔵を改造して店舗として利用しているところも多い。そのひとつでは「とろまん」という中華まんを売っている。これは三崎の料理店が集まって作った「みさきまぐろ倶楽部」が横浜中華街の協力を得て開発した、新しい三崎の名物だ。マグロのトロと三崎の野菜をあんに使っており、三崎のまちおこしのシンボルとして、観光客の人気を博している。このほかみさきまぐろ倶楽部では毎月16日(トロの日)にマグロを使った創作料理を発表する会合を開く。ここで発表された料理は、どの店もメニューに加えていい決まりだ。寿司や刺身、丼だけではないマグロの魅力を伝えていこうとメンバーは知恵を絞っている。
町並みを背に小高い山を登っていくと、大小いくつもの寺や神社が現れる。中でも大きいのが食の神をまつる海南神社。境内には源頼朝のお手植えといわれる樹齢800年の銀杏がある。
最福寺はもと御船奉行の屋敷を寺にしたもの。もとの寺は海岸に近いところにあり、嵐の日には波風を受けるため、移転先を探していたところ、三崎奉行が御船奉行の屋敷を使うようはからったという。堂々とした構えは、三崎を預かる御船奉行が幕府から大きな信頼を得ていたことを物語る。つまり、三崎は江戸時代から海上交通の要所であったのだ。境内にある鐘は住職がペリー提督からもらった時計をもとにしてついていたので、正確に時を知らせたという。
それにしても比較的狭いエリアに寺や神社がひしめいている。たくさんの幸を恵んでくれる一方、ひとたび荒れると多くの人の命を奪う海への畏敬の念がこめられているのだろうか。源頼朝の桃の御所だったという見桃寺など、古い歴史のある場所も多い。長い年月を超えて伝えられるさまざまな物語に、改めて三崎という地の伝統を感じる。
ところどころの坂から港を見おろせる。天気がよければ雄大な富士山が姿を見せる。穏やかな港が、マグロを積んだ船の帰りを待っていた。
食の神をまつる色鮮やかな海南神社の本堂は、この地を支配していた三浦一族の総鎮守として創建された。境内は学校帰りの子どもたちの遊び場になっている。屈託のない笑い声が響くのどかな光景だ
港に隣接するロータリー。街と港を結ぶポイントになっている。町中には石造りの倉を利用した商店や家屋が点在し、独特の雰囲気を醸し出している
マグロ問屋の古い蔵。堂々たる構えがマグロでにぎわった三崎の姿を象徴する
明治3年、日本で5番目の洋式灯台として完成した城ケ島灯台。フランス人ヴェルニーが設計した。平成3年に城ケ島灯台公園が造られ、青い海、空と白い灯台がおりなす美しい眺望を楽しむ人でにぎわっている
海南神社の「食の神フェスティバル」では、両手に包丁を持って魚をさばく華麗な包丁式が披露される
COLUMN
祭りに託された海と魚への思い
漁港である三崎では、年間を通じて海や漁にまつわる祭りが開かれる。豊漁と海に出る人の安全を願い、また感謝を捧げる祭りには、まさに海とともに暮らす人々の思いと歴史がこもっている。
年が明けてまず行われるのが「チャッキラコ」。1月15日に海南神社で開かれるこの祭りは、成人女性の唄にあわせて、3歳から12歳の少女たちが小正月を祝って奉納する踊り。大漁祈願の意味もこめられている。無伴奏の繊細な唄声に竹や鈴の音が響くかわいらしい祭りだ。五色の色紙や鈴をつけた短い竹を持って踊る「チャッキラコ」、扇を手にして舞う「初いせ」「お伊勢まいり」など、6通りの踊りがある。「チャッキラコ」を踊るときの竹の音が祭りの名前になったらしい。300年の歴史を持ち、1976年に国の重要無形民俗文化財の指定を受けた。
4月には同じ海南神社で「食の神フェスティバル」が開かれる。古式に則った包丁式が有名だ。7月の「夏の例大祭」では御輿が三崎の町を練り歩く。
伝統ある祭りだけでなく、まちおこしのための新しい祭りも盛り上がりを見せる。8月下旬に魚市場で行われる「海潮音」は、世界のパーカッション(打楽器)奏者が集まる音楽の祭典だ。お盆のころには花火大会などのイベントで楽しめる「三崎みなと祭り」が、10月下旬には新鮮なマグロや海産物が売り出される「三崎さかな祭り」が開かれる。海の幸に恵まれた三崎の町を愛する人々がおりなす季節の情緒だ。