『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて

『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて

黒潮に触れ、太陽を体感する太平洋に臨む須崎の海岸線

 港の後背地に丘陵が迫る須崎は海、山、川の自然に恵まれた表情豊かな町だ。東西に延びた須崎の海岸線を辿ってみよう。

 海に面した市の西端に約1kmにわたって広がる自然のままの砂浜がある。ここ安和海岸は須崎港から6kmたらずの距離だが、港のにぎわいとは対照的なのどかなたたずまいを見せる。そのまま砂浜に設けられたかのようなJR安和駅のホームや、海辺のヤシが南国土佐ならではの旅情を誘う。夏季には海水浴、釣りなどを楽しむ大勢の人たちが訪れる。

 安和地区と市の中心街の境を流れる新荘川はニホンカワウソのふるさととして有名になった。天然のアユが生息する美しい川だ。この川を渡った市街地の入り口に静かな緑地帯が整備されている。「土佐藩砲台跡」を遺した公園だ。1853(嘉永6)年浦賀にペリー率いる軍艦4隻が突如来航する。国中が騒然となり、海防が叫ばれる中、土佐藩も例外ではなく、1863(文久3)年須崎海岸に砲門と薬室7つを擁する台場を起工した。3カ所に築造された砲台は、使用されないまま放置されていたが、昭和になり西砲台跡が公園として整備された。国の史跡に指定された石積みや半円形の砲台跡からは、太平洋に向けられた巨砲の威容が偲ばれる。

 須崎駅の南側を東西に走る道路は「川端シンボルロード」として石橋や水の流れる遊歩道が整備されている。通り全体が美しい公園のようだ。毎週木曜日の朝には特産品が格安で売られる街路市が立つ、まさに須崎市民のコミュニティゾーンだ。市街の中心にあたるこのエリアは8月に開催される須崎まつりや、新春恒例のロードレースなどの舞台となる。

 須崎港に沿って東に回り込むと野見湾に出る。港口にあたるこの付近も細長く湾曲した半島や小島に囲まれ、港内同様波が穏やかだ。タイ、ハマチ、アジなどの養殖が盛んで、釣りいかだによる沖釣りのスポットとしても知られている。

 須崎市の東にはリアス式海岸の横浪半島が伸びている。この半島が抱く浦ノ内湾は海というより広大な湖のようだ。白波が三里にわたって美しく連なるさまから「横浪三里」と呼ばれている。半島にはドライブコースとして人気を集める「横浪黒潮ライン」が縦走する。南に広大な太平洋の水平線、北に四国山脈の山並みを眺めながら、自然の豊かさを堪能するドライブを楽しむことができる。

 自然との調和を重視しながら海洋都市としての整備が進む須崎。潮風と緑を満喫できる「黒潮の都」の名にふさわしい美しい町だ。

JRの駅に隣接する安和海岸は南国土佐の旅情を誘う

太平洋の荒波が打ち寄せる横浪半島の海岸は県立自然公園になっている

独鈷山青龍寺は弘仁年間に弘法大師によって開創された

後背地にはのどかな田園風景が広がる。コンビナートのすぐ向こうは須崎港だ

住宅街の中に公園として整備された土佐藩砲台跡

住宅地の街路とは思えないほど美しく整備された川端シンボルロード

写真/西山芳一

COLUMN

「入り江」で牙をむく津波の脅威 〜津波発生のメカニズム〜

 尊い人命と貴重な財産を奪う津波。地震国日本の水際は常に津波の脅威にさらされてきた。この津波はどのようなメカニズムで発生するのだろう。

 海底地盤で地震が発生すると地盤の上下変動が海底面にまで及び、海底が瞬間的に隆起(または沈降)する。この結果、海水が持ち上げられ(または引き込まれ)、持ち上げられた海水は波となって四方に伝播してゆく。これが津波の基本的な発生原理だ。津波の伝わる速さは海の深さにより異なり、海が深いほど速くなる。津波が水深1000mの海底で発生すると、その伝わる早さは秒速で100m(時速360km)、水深10mの沿岸付近だと秒速10m(時速36km)になるが、当然人間が走って逃げ切れる速度ではない。

 さらに、津波は大陸棚の緩斜面に達し、水深が浅くなるにつれてその波高を増大させる。入り江に津波が侵入した場合、複雑な地形に反射して波の方向が変化し、窪んだ陸地に集中して一挙にはい上がる遡上現象によりその被害が甚大なものとなる。海岸付近で強い揺れを感じたり、揺れは小さくとも長い時間ゆっくりした揺れを感じた場合には、直ちに海岸付近から離れる必要がある。

 須崎もまさに半島や岬に囲まれた入り江に位置する港だ。港口部において津波を食い止め、町と市民を護る津波防波堤の重要性は計り知れないものがある。

昭和21年南海大地震津波による被害状況

津波の反射遡上(イメージ図)

津波防波堤完成予想図