『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて
八戸港の新しい顔ポートアイランドの整備計画
河原木地区の沖合に新たな「島」が生まれようとしている。新たな港の顔としての期待を集めている「八戸港ポートアイランド」だ。国際化が進む港湾物流、船舶の大型化、さらに輸送形態の変化に対応すべく、八戸港の核となる物流機能や親水空間を総合的に担う港湾空間が整備されつつある。全体面積は85ha。第一期工事として平成8年度に約34haの埋立が完成し、同年指定された輸入促進地域(FAZ)の関連施設や、八戸港のランドマークともいえるシーガルブリッジが整備された。翌平成9年から供用が開始されている。
また、八戸港は馬淵川の河口に位置していることから川からの土砂や波による漂砂の港内への流入が見られ、安全な航路や泊地を確保するため、浚渫による整備が行われている。その際発生した浚渫土砂をポートアイランドの埋立に使用し、整備が進められているのだ。
昨年7月に第16回「海の祭典」の一環として「ハチノヘマリンフェスティバル」がここポートアイランドで開催された。「海に憩う八戸港」をテーマに帆船の試乗、国際色豊かなバザールなど多彩なイベントが行われ、2万人を越す来場者に世界を視野に入れながら発展する八戸港を強く印象づけた。この港のイベントでは、八戸港の歴史を紹介するパネルや、防波堤の仕組みがわかる模型も展示され、多くの市民、子供たちが港と触れ合う絶好の機会となった。
青森県が平成20年代前半を目標年次として掲げる八戸港港湾計画には、公共ふ頭や耐震岸壁など物流機能の充実とともに、地域住民の交流を目的とした緑地など開放的な親水空間の創出が目標の一つにあげられている。港全体を見回すと、工業港として整備が優先されてきたこともあって、親水空間の少なさが指摘されていた。しかし、ポートアイランドは港から市街までの夜景を楽しむドライブコースとして定着しつつあり、また港湾施設と隣接した緑地の整備も進行中だ。港は人と海が触れ合う憩いの場として新しい顔を見せ始めている。
八戸港では今、市民、企業、行政の力を結集しながら新しい港づくりに挑戦している。冒頭の八戸小唄は「白い翼を夕日に染めて島のウミネコ誰を待つ...」と締めくくられる。八戸港は万全の態勢を整えながら、来るべき港新時代の到来を待ち受けている。
整備が進む八太郎地区の1号から4号ふ頭の全景(写真:青森県)
八戸漁港「みなと楽市ウォッサン」。新鮮な魚が安く手に入り、漁港の風情を味わえるスポットだ
全長1,323m高さ30mの八戸大橋。白銀地区から第一、第二工業港を結ぶ臨港道路を支える
八戸港の新しいシンボル、全長265.5mのシーガルブリッジ。臨港道路とポートアイランドを結ぶ
ウミネコの繁殖地として国の天然記念物に指定されている「蕪島」。春には方言で蕪と呼ばれる菜の花が咲き乱れる
幕末のころ異国船を監視するための陣屋が設けられた葦毛崎の展望台。大平洋を一望できる
写真/西山芳一
COLUMN
八戸港再建の契機となった「沈船防波堤」
終戦直後、国内ではあらゆる物資が不足し、その供給体制の整備が大きな課題であった。八戸港は昭和22年、岩手県の松尾鉱山に産出する硫化鉱の積出し港として緊急指定を受ける。食糧増産対策の一環として化学肥料の増産が要請され、その原料となる硫化鉱の供給が急務となったのだ。松尾鉱山の硫化鉱は全国産出量の30%を占め、主として海運によって東名阪に輸送されていた。そこで気象海象の影響を被りやすかった八戸港の港湾機能を強固なものとするため急遽防波堤が設置されることになった。活用されたのは3隻の大型油槽船だ。
沈船平面図
進駐軍に接収されていた1万t級の大型油槽船、富島丸、大杉丸、東城丸の3隻が再三の折衝によりようやく接収を解除されこの計画に活用されることになる。油槽船の曳航、防波堤の施工、強度の維持にかかわる物以外の設備をすべて撤去し、川崎港で砂詰作業が行われ順次八戸港に向けて曳航された。砂地盤に直接沈設するため、舷側廻りを根固ブロックと捨石で保護し洗掘を防止した。船と船の隙間はケーソンによって閉塞し補強される。こうして昭和22年に着工し24年度の竣工まで、総工費1億2千万円をかけた約450mに及ぶ防波堤が築かれる。
進駐軍との交渉、回航から沈船までの工法の開発、設置後の台風による損傷など難関を一つずつクリアしながら建設されたこの防波堤は、当時全国的な話題を呼んだという。昭和42年に沈船は撤去され、今はその跡地に築かれた300mのケーソン堤を含む全長970mの西防波堤が白銀地区を護っている。
沈船断面図