『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて
大きく変貌を遂げる新生新潟港
日本一の大河、信濃川の河口に展開する新潟港西港区。川を挟むこの港の交通事情は決して恵まれたものではなかった。万代橋から河口までには両岸を結ぶ連絡路がなく、対岸を移動する市民は大きく迂回することを余儀なくされてきた。このため港湾部に流出入する車両が市街地に溢れ、橋梁部を中心とする慢性的な渋滞が大きな問題となっていた。遠山豊一先任建設管理官が計画の経緯を説明する。「昭和61年に港湾計画の中に臨港道路の整備が盛り込まれ計画がスタートしました。河口を跨ぐ架橋となると、大型の船舶を避けるためにかなり高い橋の建設が必要で、橋に至るまでのアプローチも長くなります。港が空港に隣接しているため航空機の進入路などにより様々な制限も課せられる。シールド工法で掘り進める場合もかなり長い距離を掘削しなければならない。事業費の面から考えてもできる限り最短の距離でトンネルを開通させる必要がありました。そこで採用されたのが『沈埋トンネル工法』です」。陸上で製作された長さ105〜107m、幅28.6m、高さ8.9mの鉄筋コンクリート製の沈埋函をあらかじめ掘っておいた川底に沈設し、合計8函を連結して埋め戻すという工法だ。4函の沈埋函を同時に製作可能なドライドックを東港に建設、約9時間かけて1函ずつ西港に曳航した。吉永茂第二工務課長は言う。「沈埋函を沈設するトンネルルートは淡水と海水が交差する不安定なポイントです。しかも港内を航行する大型船舶を避けながらの工事は本当に大変な作業でした」。トンネル内の換気、防災監視等の役割を果たす高さ40m以上にもなる両岸の立坑建設も、日本海側の海岸特有の厚い砂地盤が立ちはだかり、液状化対策、耐震設計などの技術的な課題をクリアしなければならなかった。工事中に阪神淡路大地震が起こった時には、これまでの工法やデータを検証し直し、万全の安全対策を施して工事の継続に臨んだという。
沈埋函によって構成される850mのトンネル部分を含む約2Kmの陸上道路部分が開通したのは昨年の5月。周辺の道路整備は現在も進められており、最終的には全長3,260mの港口部ルートが完成する。トンネルは歩行者も通行でき、開通の翌日からは早速路線バスも走り始めた。万代橋とその周辺道路における交通渋滞も緩和され、その効果が顕著に現れている。両岸にそびえる立坑は「入船みなとタワー」(左岸)「山の下みなとタワー」(右岸)と名付けられ、展望展示施設として解放されている。行き交う船と港、そして夕陽を一望できる「山の下みなとタワー」には、この3月までに5万人以上の市民が訪れている。
北陸地方整備局新潟港湾空港工事事務所のみなさん
左から蜂須賀和吉企画調整課長、吉永茂第二工務課長、遠山豊一先任建設管理官、渡邊正良海岸課長
東港区から西港区に曳航され沈設される沈埋函(写真:株式会社本間組)
港の新しいランドマークとなった「入船みなとタワー」