『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて
「物流」の東港区、「人流」の西港区
新しいトンネルが開通し、国際物流拠点としての整備が進められる新潟港。その港づくりの現場で日々汗を流しているキーマンに話を聞くことができた。株式会社本間組新潟港東西両工事事務所の佐藤光也所長と小泉毅之所長のお二人だ。西港区を担当する小泉所長は語る。「河口部に位置する西港区は決して広い港とはいえません。港内を航行するフェリーや漁船に細心の注意を払う必要があります。みなとトンネルの工事のときも大型船舶が通過する際の波を受けながら100mを超える沈埋函本体の挙動をリアルタイムで把握しながら正確な位置に据付けたんです」。また第二次世界大戦の「負の遺産」ともいえる機雷の脅威もあるという。工事前には必ず磁気探査で除去することになっているが「港付近にはまだ300以上の機雷が残っていると言われています。新しいポイントを浚渫する時はいまでも緊張しますね」と話す。
「東港の整備は現在も進められています」と語るのは東港区の佐藤所長だ。西港区とは異なり海岸線を掘込んで造成した港なので整備の方法も自ずと異なってくると言う。「掘込工事を含め岸壁や航路の整備は現在も進行中です」。確かに東港区には、仮設鋼矢板の護岸や、まだ砂浜の状態になっている部分がある。さらに佐藤所長は「日本海は波が強いので何よりも安全面に気を配って工事を進めています。岸壁が整備され、世界中からたくさんの船が入港して、地域全体がこの港から元気になるよう願っています」と話してくれた。
新潟港の管理は新潟県に委ねられている。東港とその周辺の工業地帯、完成した新潟みなとトンネルの管理運営も担っている。また同県の主導で展開された万代島の再開発事業も竣工した。「朱鷺メッセ」と名付けられたコンベンションセンターや、高層ホテル、広大な緑地を核としたプロジェクトだ。新潟県港湾空港局港湾課の星 克久課長にお話をうかがった。「日本海における『物流』の拠点である東港区、市民が水辺に親しみ様々な情報が受発信される『人流』エリアの西港区、新潟港は効率的に機能分化したこの二つの港から成り立っています。また西港区には新たな賑わい空間が誕生します。日本海側随一の高さ(140.5m)を誇る万代島ビルも完成しました。31階の展望室(125m)から眺める日本海の夕陽は例えようもなく美しいですよ」。
新潟港で耳にした声には共通した想いがあった。それはソフト、ハード両面で目覚ましい変貌を遂げた港によせる大きな期待だ。物と情報が行き交い、人々が集い憩う新しい新潟港が生まれようとしている。
(注:事業所名、役職名は取材時(2003年3月)のものです。)
重要な輸出品目のひとつである東港区の化学肥料コンビナート
新潟県港湾空港局 星 克久 港湾課長
株式会社本間組の小泉毅之所長(左)と佐藤光也所長
美しくライトアップされた万代橋
東港区では岸壁や導流堤などの整備が現在も進められている
新潟の歴史を見守ってきた信濃川
写真/西山芳一
COLUMN
白砂青松の再生に挑む
信濃川河口部左岸から関屋分水までの約6Kmに広がる「新潟西海岸」、ここで美しい砂浜を再生すべく整備事業が展開されている。
信濃川の度重なる氾濫、洪水に対処し、河口港である新潟港の埋没を避けるために明治以降、大規模な河川改修や突堤の築造が展開されてきた。明治42年には大河津分水工事が着工され、港の水深と航行する船舶の安全は確保されたが、信濃川から流出する土砂の減少により、西海岸の砂浜がどんどん後退し始めた。新潟港湾空港工事事務所がこの砂浜を取り戻すための侵食対策に取り組んでいる。渡邊正良海岸課長によると、明治後期から始まった汀線の後退により現在まで最大350mもの砂浜が失われたという。「500m沖合の海底に造った潜堤と、海岸から直角に伸びる突堤によって海岸地形を安定させています。さらに東港区での浚渫土砂を活用して砂浜の再生を目指しています。構造物が魚礁の働きをして海藻、アワビ、サザエなどの生物も確認されるまでになったんですよ」。突堤は安全対策をしたうえで市民に解放されている。西海岸の背後は住宅地や商業施設が集中するエリアでもある。市民生活を護り、白砂青松の再生に取組む事業が期待を集めている。